戦前の日本の外務省というと、
不勉強な私はただ一つの出来事しか思い浮かばない。
真珠湾攻撃の際、米国に対して行うべき開戦通告が遅れ、
それによって「日本がだまし討ちの汚名を着せられた」という「失態」である。
これには諸説あって、どこに真実があるのか私にはわからないが、
とにかく「当時の外務省はするべき仕事をしていなかった」という
怠慢な悪いイメージだけが植えつけられていた。
そのため江崎道朗先生の
『日本外務省はソ連の対米工作を知っていた』(育鵬社)
という新刊のタイトルを見たとき、
「これは、また江崎先生に歴史のどんでん返しを見せてもらえるんだな」と思い、
読むのを非常に楽しみにしていた。
(※ここからネタバレ・引用あり)
江崎先生は日ごろから盛んに「インテリジェンス」の重要性を強調されている。
常にわかりやすい言葉で話される江崎先生が、
あえて「インテリジェンス」というわかりにくい言葉を使われるには、
おそらくそれなりの理由があるのだと思われる。
江崎先生は本書で、
インテリジェンスに関する中西輝政先生の説明であるとして、
次のようにまとめられている。
(ここから引用)
第一に、インテリジェンスとは、国策、政策に役立てるために、国家ないしは国家機関に準ずる組織が集めた情報の内容を指す。いわゆる「秘密情報」、あるいは秘密ではないが独自に分析され練り上げられた「加工された情報」、つまり生の情報(インフォメーション)を受けとめて、それが自分の国の国益や政府の立場、場合によると経済界の立場に対して、「どのような意味を持つのか」というところまで、信憑性を吟味したうえで解釈を施したもの。
第二に、そういうものを入手するための活動自体を指す場合もある。
第三に、そのような活動をする機関、あるいは組織つまり「情報機関」そのものを指す場合もある。
(引用終わり)
恥ずかしながら、インテリジェンスについて理解が浅かった私も、
この説明でとてもよく理解できたように思う。
「情報そのもの・情報収集活動・情報収集機関」という大きく三つの意味を包含し、
しかもそれらが不可分であることから、
「インテリジェンス」という言葉以外に、
この概念を的確に表す用語がないのであろう。
いずれこの難しい言葉が日本で常識化し、誰でも知っている言葉になれば、
日本の「インテリジェンス」能力も大いに高まっているに違いない。
さて同書では、戦前外務省に勤務して米国に赴任し、
彼の地で「米国共産党」の組織や活動内容を綿密に調査した若杉要さんと、
同氏が中心になってまとめた『米国共産党調書』という文書が詳しく紹介されている。
この若杉さんの調査活動や同調書は、
戦前の日本国の「インテリジェンスの金字塔」といえるものだろう。
微に入り細を穿ったその「調査結果」は、
現在よりも交通手段や通信手段が未発達だったことを考えると、
信じがたいほどに綿密で多岐にわたっている。そこから、
若杉さんを中心とする「日本のインテリジェンスチーム」の能力が
極めて高かったことがうかがえる。
「調書」は1939年にまとめられ、1941年に再刊されており、
ソ連が背後で手を引く「米国共産党」という組織が、
戦前、いかにして「共産思想」を米国に広め、
世論形成や政府方針にまで強い影響を与えていたことが立証されている。
われわれ日本国民にとっても、大東亜戦争前の世界の状況を正確に知るうえで、
非常に重要な資料となり得るのではないだろうか。
『米国共産党調書』をもとに、
1940年に松岡洋右外務大臣に提出された報告書から、
その一部を抜粋・引用しておこう。
(ここから引用)
一、米国における反日・中国支援運動は、大統領や議会に対して強力なロビー活動を展開し効果を挙げているだけでなく、新聞雑誌やラジオ、そして中国支援集会の開催などによって一般民衆に反日感情を鼓吹している。
二、この反日運動の大部分は、米国共産党、ひいてはコミンテルンが唆(そそのか)したものだ。
三、その目的は、中国救済を名目にして米国民衆を反日戦線に巻き込み、極東における日本の行動を牽制することによって、コミンテルンによるアジア共産化の陰謀を助成することだ。(後略)
(引用終わり)
この部分だけでも、なぜ日本と米国が戦争しなければならなくなったのか、
なぜ戦後中国が共産主義国となり北朝鮮が生まれたのか、
その原因がかなり説明されているといっても過言ではないだろう。
もちろんそんな単純な話ではないことは承知しているつもりだが、
大東亜戦争が起きた背景の説明として、非常に意味がある内容だと思われる。
次に、米国共産党がいかにして米国社会に浸透していったかについて、
既存の「団体」に潜入し、その団体を乗っ取る「内部穿孔工作の手法」も紹介されている。
ここを読んで私は非常に驚いた。あくまでも私個人の想像だが、日本国内においても、
同様の手口でさまざまな「団体」が実質的に乗っ取られているのではないかと思った。
(ここから引用)
第一段階では、「平和とデモクラシーを守ろう」という統一戦線に加盟しそうな団体に、内部工作スパイ(fraction agency)を送り込む。
(中略)
第二段階では、鍛えられた弁舌と議事進行能力によって団体の運営を円滑に進め、会員の信頼を勝ち取り、その団体内部において不可欠な人物だと認知されるようにする。(中略)
第三段階では、内部工作スパイが団体内で信頼を勝ち得た段階で、初めて米国共産党は、そのスパイに対して、特定の決議案の採択や団体規則の改正などを実行するよう指示する。
(中略)
第四段階では、団体内部でスパイたちの支配力をある程度確立すれば、共産党の意見に反対しそうな勢力を一気に排除し、その団体を乗っ取ってしまう。
(引用終わり)
「統一戦線」とは、同書によれば、
「平和と民主主義(デモクラシー)を守る」という「建て前」のもとで、
本来共産思想とは相容れないはずの資本家や自由主義者たちと手を結ぶ
「人民統一戦線」のことだ。
はて、「平和と民主主義の保護を訴えて、善良な人々を巻き込む」という手法には聞き覚えがある。
今現在も日本で、これと同じ戦略が展開されているのではないか。
皆までいわずとも、お察しいただけるものと思う。
また米国共産党は、教育界やキリスト教関連団体のほか、
作家や演劇関係者、映画関係者などを抱き込んでいたことも、日本外務省は把握していた。
「小説」や「演劇」「映画」などを通して、
(それとはわからない形で)共産思想を流布したことで、
多くの米国民に思想的な影響を及ぼしていたのだろう。
これもまた、どちらかといえばサヨク的傾向の強い「日本の芸能界」を想起させる。
もちろん私個人の印象に過ぎないが、アメリカで長年行われてきた「効果の高い影響工作」が、
日本でまったく行われていないとは言い切れないはずだ。
最後に「おわりに」から、強く心に響いた箇所を引用しておきたい。
(ここから引用)
そろそろ過去から逃げ回るのをやめようではないか。
我々は過去と向き合う「勇気」を持つべきなのだ。国際共産主義の脅威から日本を守るべく、戦前の外務省と内務省が多くの調査報告書を作成してきたことを正面から受け止め、しっかりと研究すべきなのだ。そのためにもまずは、若杉要と『米国共産党調書』への再評価から始めたいものだ。
(引用終わり)
今回私は本書を通して、『米国共産党調書』について詳しく知ることができた。
『ヴェノナ文書』をはじめ、まだまだこれからも機密文書が公開されるなどして、
新しい事実が次々と見つかり、分析され、解明されていくことだろう。
今はその途中段階とはいえ、数十年前に比べれば状況は大きく変化した。
今回は何しろ「戦前の日本のインテリジェンスの優秀性」が立証されたのだ。
この発見が、多くの日本人の自信につながるとともに、
「インテリジェンスが政治に生かされず、戦争が回避できなかった」ことへの「正しい反省」にもつながる。
国家や世界平和にとってインテリジェンスがいかに重要であるか、肝に銘じなければならないと思った。