☆楽しいライター生活☆

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読みやすく、わかりやすく、読者の心に刺さる文章づくり!
著者の価値を高める「森末@バリューアップ書籍ライター」のブログ
個人事業ですが「森末企画」と名乗っています
1996年5月開業
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渡部昇一先生の『知的生活の方法』を先日読み終えたあと、

「この本は十代、せめて二十代のうちに読んでおくべきだった」と心底思った。

西暦一九七六年四月二〇日第一刷発行ということは、

私が小学校六年生のときにはすでにこの世に存在している。

どこかの時点でタイトルだけは見かけた気がするが、手には取らなかった。

最近まで本書を読まなかったことを今さら悔やんでも仕方がないが、

とにかく若き向学の徒には必ず読んでほしいという気持ちになった。

ちなみに六年生当時の私の愛読書は、

江戸川乱歩の少年探偵団シリーズと『週刊少年ジャンプ』であった(笑)。

それでは、特に印象深かった箇所をいくつか抜粋し、感想を述べていくこととする。

 

探偵小説でもよいから、ほんとうにおもしろかったら、その「感じ」をたいせつにする。そして漱石を読んだときに、その感じが出たら、自分自身のために祝盃を上げればよい。それは明白な知的向上を示すものだからである。(略)ほんとうにはおもしろいと思わないものを、おもしろいなどというふりをしてはいけないのだ。他人に対しても自分に対しても。特に自己をいつわってはならない。自己の実感をいつわることは、向上の放棄にほかならないのだから。

 

渡部先生は本書において、「知的正直」さが大事であることを強調されている。

要は、「わかっていないのに、わかったつもりにならない」、

あるいは「わかっているふりをしない」ということである。

これはソクラテスの「無知の知」にも通じる考え方だと思われるが、

本当にはわかっていないのに、本当には面白いと思っていないのに、

そんな自分をごまかして、「わかっている」「面白い」などと思い込んではいけない。

そう思い込んだ時点で、その「わかっていないこと」を「わかろうとする努力」を止めてしまうからだ。

努力を止め、考えることを止めた時点で、その人の成長はストップすることになる。

とにかく自分に正直に、「わからないこと」は「わからない」と正しく認識し、

謙虚に学び、一所懸命に考える姿勢を貫いていきたいものだ。

 

私にとって、本は繰りかえして読むものだということは、ご飯は噛んで食べるものだというくらい当然のこと、自明のことだったのである。(略)

このように繰りかえして読むということの意味はどういうことなのだろうか。それは筋を知っているのにさらに繰りかえして読むということであるから、注意が内容の細かい所、おもしろい叙述の仕方にだんだん及んでゆくということになるであろう。これはおそらく読書の質を高めるための必須の条件と言ってもよいと思う。

 

「同じ本を繰り返し読む」ことの意味や効果について、これまで一度も考えなかったわけではない。

しかし、それをきちんと理解したうえで、より深く学ぶために、あえて繰り返し読んだことは今までなかった。

特に近年は「積ん読本」の多さに焦りを感じ、

とにかく一度通読したら次の積ん読本に取り組むような状態だった。

学生時代には、気に入った小説などを、ただ好きで繰り返し読んだことはもちろんあったが、

そのレベルではなく、もっと作品を深く味わい、

さまざまな発見に結びつく読み方をしなければいけないと痛感した。

とりあえず何か一冊選び、何度か繰り返し読むことによって何が起きるのかを体験してみようと思う。

 

どんなむずかしい短歌にも五分以上の時間をかけぬこと、長歌にも十五分以上はかけぬこと、というタイム・リミットをつけて読めば、比較的短時間に『万葉集』でも『古今集』でも通読できる。そして自分にピンときたものにだけ、丸のしるしをつけておく。二度目にはそのしるしをつけたものだけ読み、特によいと思ったのには、もう一つ丸を重ね、二重丸のしるしをつける。そしてさらに二重丸じるしのものだけ読みかえして、その中でいちばん気に入ったものをノートに一日何首か書き抜く。そして暗記する。

 

私はここ数年、おそらく『古事記』を読んだことがきっかけで奈良時代への関心が高まり、

まったく独学で『万葉集』を少しずつ読んで勉強している。

最初に名歌を抜粋した解説本を何冊か読んだあと、

「やはり一度は全首読もう」と決意したのはよかったが、そこから苦難が始まった。

よく理解できて感動する歌や、クスっと笑えるユニークな歌もある一方、

現代語訳や解説をいくら読んでも少しも理解できない難解な歌や、

それなりに意味はわかったものの全然面白みを感じない歌などに、気力を削がれてしまうのだ。

いざ読もうとしても、ひどいときには五首か十首くらい読むだけでかなり時間がかかり、

けっこう疲れているのに、読み始める前と同じページを眺めていたりすることもある。

結局、読みたいのに読み進めなくて表紙を閉じ、別の本に手を伸ばしてしまうことを繰り返している。

愚痴はこれぐらいにして、渡部先生の「タイム・リミットをつけて読む」という方法は、

きっとこれまで私が味わってきた苦しみを和らげてくれることと思う。

研究者を目指しているのではないのだから、

「ほどよく味わえる読み方」をすればいいことがやっとわかった。

とにかく『万葉集』を自分なりに(低いレベルかもしれないが)消化したうえで、

近いうちに平安時代に突入したいと願っている。

渡部先生のおかげで、ようやく希望の光が見えてきた。

「ほとんど知らなかったことを知らされ、目を開かされる」という意味で、

評論家の江崎道朗先生の一連の著作には、

これまで何度も目を開かされる経験をしてきた。

今回読んだ近刊の『インテリジェンスと保守自由主義』もまたそうであった。

重要な内容が数多く含まれるが、いくつかポイントを絞り、

同書からの引用を交えながら感想を述べていきたい。

 

第二次世界大戦の末期、ドイツを打ち破ったソ連は再びバルト三国を占領するや、バルト三国の「言論の自由」を奪い、ソ連占領下でどのようにひどい占領政策が行なわれたのかを、自由に話すことを禁じられたというのです。

そしてソ連に占領されたバルト三国は、それまでの自由民主主義を完全に破壊され、一党独裁の共産主義体制を押し付けられたのです。日本もソ連に占領されていたら、同じ目に遭っていたことでしょう。

 

同書に書かれていたが、かつてソ連の支配下にあった国々がどういう状況だったのか、

特に東西冷戦時代の最中、私たちはほとんど知ることがなかった。

そのため私などは特に疑問を感じることもなく、

「自由主義国よりは貧しかったかもしれないが、普通に生活はしていたのだろう」

と高をくくっていた。しかしそれは大きな間違いだった。

一党独裁の共産主義の国に支配されるということは、

イコール「言論の自由を奪われる」ということであり、何十年も支配されていた間、

バルト三国でどれだけソ連がひどいことをしていても、

それが他国に知らされることがなかっただけなのだ。

今ヨーロッパでは、当時のソ連がいかに苛烈な支配をしていたのか、

その歴史をきちんと見直す動きがあるのだという。

 

(※ポーランド人が自由を求めて立ち上がった「ワルシャワ蜂起」が失敗に終わったあと、チャーチルはスターリンと手を結び、ポーランドをソ連に売り渡した。その結果……)

要は、ポーランドの東側の大半はソ連領とすることと、ポーランド共産党と連携することを認めるよう、チャーチルは要求したのです。

これを日米同盟に置き換えると、例えば中国共産党政権と軍事紛争になって日本の自衛隊が劣勢になった場合に、同盟国アメリカが、中国との停戦と引き換えに日本に対して、沖縄と九州は中国共産党政府の領土とし、かつ、日本共産党による連立政権を樹立するよう、日本政府に「通告」してきたようなものなのです。果たして、こうした想定は杞憂なのでしょうか。

 

親日国のポーランドもまた、歴史に翻弄され、耐え難い苦痛を味わった悲劇の国だった。

この引用部分は、イギリスのチャーチルが、同盟国のポーランドとソ連とを天秤にかけ、

ソ連が有利と見るや、手のひらを返してスターリンと手を結んだという事実から、

その状況を現在の日本に当てはめた推論である。

将来、世界情勢の流れによって、この推論通りにならないという保証はどこにもない。

つまり日本が他国に支配され、「言論や信教や移動の自由が奪われる日が来る可能性」は、

われわれ自身がそれを防ぐ努力をしない限り、決してゼロにはならないということだろう。

 

要は戦争になれば、勝利こそすべてとなる。しっかりした軍事力を持たないまま、同盟国を信頼していると、手痛い裏切りに遭う可能性がある。よって、しっかりした軍事力を持つとともに、常に敵だけでなく、味方、つまり同盟国の政治情勢についても徹底的に調べ、分析し、警戒を怠らないようにしておかないといけない。これがポーランドの「痛苦な反省」なのです。

 

我が国もかつて、ソ連に条約を一方的に破棄され、

北方領土が奪われたまま何十年も取り返せていない。

そしてまた現在の同盟国が、五年後十年後に手のひらを返さないという保証もない。

もちろん同盟国と信頼関係を築いていくことは大事だが、

我々自身が国を護る努力を怠ることは絶対にあってはならない。

これを忘れることを「平和ボケ」と呼ぶのであろう。

その先に待っているのは、もしかすると「この世の地獄」かもしれない。

 

《諸君は、列強諸国と結んだ不平等条約の改定を目指しておられるという。しかし欧米列強が「日本は、近代的な法制度を整備した」という理由だけで、日本との条約改定に応じるかどうかには疑問がある。国際法は、諸国の権利を保護する不変の取り決めだと言われている。しかし列強諸国は自国の利益になる時は国際法や条約を守るが、自国の利益にならないと思えば、あっさりそれを無視して武力に訴える。諸君、それが国際社会の現実である。欧米列強は礼儀正しく他国と交際しているように見えるが、そんなものは表面的なふるまいにすぎず、実際には弱肉強食が国際関係の真の姿である。

(中略)

諸君は国際法や条約のことばかり気にするよりも、富国強兵して実力をつけることに尽力していただきたい。諸君は実力をつけて独立を守るべきだ。そうしないと、列強の植民地獲得競争の餌食になってしまうかもしれない。》

 

これは明治六年に欧州を訪れた「岩倉使節団」が、

ドイツのビスマルク宰相から受けたアドバイスの言葉だそうだ。

原典は伊藤貫氏の著書『歴史に残る外交三賢人』であり、

「孫引き」になることをご了承いただきたい。

このビスマルクの言葉こそ、「弱肉強食の世界の現実」を正確に言い表しているのではないか。

当時と現在では世界情勢は大きく変化しているが、おそらく本質的には変わってはいないように思える。

むしろ「外国を侵略する方法論も各種の技術も(悪い意味で)進化している」ため、

かえって現代のほうが危険度が高いとも考えられるのではないだろうか。

単純に武器を使用して領土を奪い合う「わかりやすい戦争」とは異なり、

表面上は平和に見えながら、裏側では想像もつなない方法で侵略が進みつつある可能性も否定できない。

百年後二百年後の子孫に禍根を残さないためにも、

我が国はインテリジェンス能力を向上させ、正しく国策に生かすとともに、

弱肉強食の世界に飲み込まれないだけの「実力」を養わなければいけないのだろう。

いつもいつも何もできない自分に腹が立つが、

とにかく少しでも多くの人たちと問題意識を共有し、

できるだけのことをやっていきたいと思う。

 

 

内村鑑三の『代表的日本人』は、元は英語で書かれていて、

あのケネディ大統領も読み、名君上杉鷹山公を尊敬していたとのことです。

全部素晴らしい内容ですが、なかでも上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹

のお話が強く印象に残っています。

日本人が忘れてはいけない代表的日本人ではないかと。

中西輝政先生の『日本人としてこれだけは知っておきたいこと』は、

GHQの洗脳による自虐史観から脱却するうえで、

大きな学びを得た重要な一冊です。

「戦後の嘘」「大東亜戦争 の経緯」「天皇」「日本文明」などについて、

数々の示唆を与えられました。

竹田恒泰さんの『日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか』は、

私がGHQの洗脳から解け始めた頃、最初に読んだ同氏の著書です。

主に文化や国民性に焦点を当てた日本論であり、

私の日本愛がぐんぐん膨らんだのを覚えています。