何故一生懸命に働かなければならないか | テンポス森下 商狂老人 百姓経営者 蒲田のドラッカー

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商売道を求めて、さまよい続け、やっと面白くなってきた。
今に見てろと激流に身を投じ50年!
故郷の村人は変わらずも、田畑荒れ、茶摘み、草刈りに帰るのみ。

悪い事をしなければ、人の生き方はそれぞれで、他人に強制されるものではないという人達が増えてきている。

大間違いである。

生き方は自由であるという人はよく考えてみてくれ。

自由に決まっているが、怠け者の言い訳にするな!

今日ここにあるのは、母が寝ないで育ててくれた。

親父は自分の欲しい物を我慢して稼いでくれた。

身につけているものすべて、誰がかが作った物だ。

何気なく乗っているバス、電車、誰かが作って、誰かが運転している。

食べ物は野菜であれ魚であれ、牛や豚は昨日まで餌を与えていた生き物の命を奪って食している。

今ある自分は人の恩恵、生物の命を奪っている。

その生命との約束は、一生懸命生きて良い社会を後世に残します。

社会の役に立ちます、人の役に立ちます。

迷惑をかけなければいいのではなくて、人の役にたたなければならないのである。

当たり前に給料をもらってはいけない。

誰の役に立ってるかを毎日実感しながら働いているかだ。

ステーキのあさくまで真面目に働いている人は、「お客様におもてなし」してると実感して働いているか、稼ぐための仕事をしているか。

人の役に立つ、社会の役に立つには、世の中が変化しているのだから、能力開発、スキルアップする必要がある。

迷惑をかけなければ、何していても良いなどは、もってのほか。