雑草を抜く時に「御免よ」 | テンポス森下 商狂老人 百姓経営者 蒲田のドラッカー

テンポス森下 商狂老人 百姓経営者 蒲田のドラッカー

商売道を求めて、さまよい続け、77歳やっと面白くなってきた。
今に見てろと激流に身を投じ50年!
故郷の村は寂れ、田畑荒れ、茶摘み、草刈りに帰るのみ。

毎日衰えと闘っている。

自分の命を健康で長らえようと、ウォーキングやら、ヨガやら続けていると、

生命の限界を感じて、神のみぞ知る我が寿命の長らえんことを願って、屈伸したり、ダンベルをウンセウンセとやっている。

庭にAmazonの段ボールを敷いて、地べたに這いつくばって前屈していると、目の前にこの季節あちこちに雑草が生えている。

今までは無造作に引き抜いていたものを、お前も一生懸命に子孫を残そうと、芝生の間に生えて来たが、場所が悪かった。

悪いな、悪いなと言いながら引き抜いている。

塀にわんさかまとわりついた「藪からし」を両手でむしりとって、綺麗さっぱりにしていたものが、子孫を増やして繁っているのにとむしりとることを、躊躇してしまう。

それだけじゃない。

朝早くから、地べたに座り込んでヨガの、開脚姿勢をとっていると、何匹も蚊がまとわりついてくる

体に留まろうものなら、いきなりピシャリとやっていたものが、コロナだなんだで孫さえ寄り付かなくなった老人に、愛想を振り撒いて寄ってくれている

脛に留まって血を吸い始めたからって、ピシャリとやらないで、見捨てないでよく来てくれたような気がして、わずかの時間ピシャりの動作が遅れることがある。

恐らく75才過ぎてきて、友達が一人づつ死んでいくのを聞いていると、自分の寿命を感じる事が多くなり、

生きながらえる運動したり、食いたくもない納豆を食っているから、生きるに一生懸命の自分を感じる様になっていると思う。

今まで憐れむだの、慈しむだのあまり感じたことがなかったが、こういう事なのかと、ひしひし感じる今日この頃です。