ダンボール×レトロ看板

ダンボール×レトロ看板

ダンボールを使って、レトロ看板(?)を再現してみました。たまにイラスト練習&雑記もタラタラと載せてます。人物画を描くのが好きです。

お盆で実家に帰省をしました。

と言ってもGWにも帰ったので、大して久々なわけでもありません。

残念ながら経済的に親孝行出来る様な立派な大人にはなれなかったので悲しい、せめて親に孫の顔を見せる為に出来るだけ帰る様にしています。

 

 

とは言え、一人暮らし&結婚してからの生活年数(20数年)が、実家で過ごした時間(18年)よりも長くなったからなのかなぁ。今回は初めて実家から自宅に戻ってきて、ホッとしました。街中にある(と言っても地方都市)実家より、田んぼが広がる現在の居住地の方が私にはあっているのかなニコニコ

 

 

加えて、父の事もあるのかも真顔

老老介護で、ここ数年は父が母の面倒を見ています。

トイレに連れて行ったり、食事の準備をしたり…遠く離れて面倒を見れない申し訳なさを感じつつ、思いがけず面倒見の良い父の一面を知りました。

 

それはとても素晴らしいことなんだけど〜ちょっと不満

 

 

帰省中にこんな事がありました。

帰省中のある日、私がキッチンに立って料理を作っていました。

背後から覗いてきた父が私の料理の手際を見るやいなや、

『なんやその焼き方は〜!』

『なんちゅう切り方しよんぞ〜!』

『そういう(目分量)のは料理が上手い人のやり方や!』

等々ガーン

 

 

毎日キッチンに立つ主婦なら分かってくれると思うけど、

コレ非常にウザいもやもや

今までも帰省中に一度は必ず、私の背後から覗いて👀は料理のやり方にケチをつけてくる事がありました。離れて暮すうちにいつの間にか、グッと堪えて無表情でスルーしてやり過ごす様になりました。決まって父にあーだこーだ言われるのが鬱陶しくて嫌で、帰省中は料理もパッとできる半ば出来合いのものを作る様になりました。焼くだけ、炒めるだけ…みたいなやつ。それはそれで困ったことが…アセアセ

 

 

実家滞在も最終日を迎えました。

帰り支度をしていると、父が声をかけてきました。

「お前ら赤飯は食べんか?持って帰らんか?」🙎‍♂️と。

「お赤飯はあんまり食べないからいいわ🙅‍♀️」と伝えたところ、

「お前が何でも子供らに食べさせんけんや。あんな出来合いのもんばっかり食べさせとるから…どうせ魚もろくに食べさせとらんのやろぅ…」と、大きな声でブツブツ言ってるのが耳に入って来ました。

しばらくスルーしてたけど、流石にとっても悲しくなってしまいました。

 

 

数日間の滞在で、365日の普段の料理を総括されてダメ出し😢無表情で聞こえてないフリをしてたけど本当はすごく悲しかった悲しいそのくせ、

持って帰らんかと言われたお赤飯は 思いっきり

パックご飯

↑それこそ出来合いのもんやんけ〜🫲気づき

と思いつつ、娘を思う父の優しさも感じられてなんだこの複雑な気持ちは…ぼけー

 

 

帰宅して、父との会話を思い出しながら数日を過ごして内省し、悲しさも少しやわらぎました。次第に、父の言葉の裏には父の承認欲求が隠れているんじゃ無いかなぁと思う様になりました。

 

 

毎日、母のご飯を準備・世話をしているという自負がある。

しかし、それを毎日誰かが側で見て褒めてくれる訳でもない。

でも料理を毎日しているんだというプライドもある。

自分は料理が分かる様になってきたんだと、誰かに分かって貰いたい。

料理を通して、娘とコミュニケーションをとりたい。

→どれ、娘のやり方に口を出して先輩風を吹かしてみようか。

 

 

みたいな感じなのかな??  と。 

心底では、

お父さん、料理上手いね、頑張ってるねぇびっくりマーク

と言って貰いたいのかなぁ うーん

 

 

そんな父の気持ちを考えたら、ウソでも父に頑張ってるやんびっくりマークと言えそうなんだけど、私もまだまだ大人になりきれていないのだろうな。なんだかんだとケチをつけられると、すんなり父を承認しよう!という言う気持ちにはなれないのです。しかしそんな父の気持ちを考えると、なにをぅ💢と反論する事も次第に出来なくなり、スルーする様になって…が、今まで繰り返されて来たのだろうなぁ。

 

 

なんだか父を見ていると、子供に指図する事で親としてのプライドを保ちたいような…いつまでも、家を出た18才のあの時から成長していない娘でいて欲しいのかなぁと思う時があります。

 

 

一方で私の心の中にも、まだ何処かで親に認めて貰いたいという承認欲求があって、そして父は父で、親はもうこの世には居ないけど誰かに認めて貰いたい気持ちがあって…もうお互いの

承認欲求のぶつかり合いもやもや

 

 

相手の求める物がなんとなく分かっても、すんなり素直に…とは中々いかない親子関係。何故にこうも難しいものなのかなぁ不安

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大学生になって間もない頃、とある飲食店でアルバイトをしておりました。

 

 

人生で初めてのアルバイト!友達とは異なる、年齢の離れた見知らぬ方たちとのやり取りは、右も左も分からず、ただただ愛嬌で乗り切っておりました。

 

 

店長は当時、確か35歳前後。

父親が割と強い家に育った私は、目上の方に嫌われてはいけないと無意識に思っておりました。できるだけ笑顔を絶やさず、少しオーバーリアクションで反応していました。アルバイト先の仲間とも少し打ち解けてきた頃、当然プライベートな話もチラホラとするようになります。

 

 

どんな話の流れだったか…店長がカメラが好きだと仰るので、(嫌われない様に)カメラについて色々と質問をしたりしていました。すると、カメラに興味があると思われてしまったのだろうな、休みにどっか一緒に撮影に行かないか、みたいな誘いを受けてしまいましたアセアセ

 

 

ホント、ごめんなさいお願い

まだ10代だった私からすると、35歳はチョット…もやもや

恋愛感情など全く無くて、好きでもなんでもない方だったので、正直ちょっとイヤだなぁ、めんどくさい。どう断ろうかと思ってしまいました。結局カメラ撮影は、幸か不幸か(?)行くことはありませんでしたが。

 

 

 

そして時は巡り、アラフォーの今。

(40=初老の異称という衝撃

あの時の店長は35歳だったのか〜と遠い目をしております真顔

今の私より年下だったのか…と。

今もしも同じ話の流れになったとして、果たしてお誘いを受けるだろうか?あぁ、おそらく ないだろうな〜魂が抜ける

キラキラあぁ、若さキラキラ

 

 

 

そんな今は、昼間パートに出ています。

職場は、(人数自体そんなに多くないけど)男女とも年下の方のが少し多い環境です。有難いことに、皆さんホント良い方ばかり!明るくて、気さくに話しかけてくれて、失敗もきつく咎められることはなくて、働きやすくて…って、アレ

 

 

あぁコレ、昔の私じゃないけど、きっと

気を遣ってくれてるんだなぁ〜にやり

ほんとに良い環境だけど、調子に乗らない様にしよう〜あせる

※これ、長年自分が実践してるアンガーマネジメントの効果で、自分が(過去の自分と比べて)穏やかになったから周りの人も優くなったのかなぁ〜って感じてたんだけど、ただ単に年齢が上がって気を遣われる様になったってだけなのかも??うさぎ

 

 

何かしら注意を受ける事もあるけど、年上に注意するのも言葉や言い方に少なからず気を使うだろうし、言いにくい事もオブラートに包んでくれているんだろうしなぁ。たまに自分の事を聞いてくれる事もあるけど、内容も合わせてくれたりしてるんだろうしなぁ。間違っても調子に乗って自分から相手のプライベートに足を突っ込まない様にしないと💦

 

 

加えて、『どうせ気を遣ってくれてんでしょ』って捻くれて面倒くさい人にならない様に、襟を正そう。

雑談は社交辞令

 

 

優しく接してくれてありがとう

気遣いを素直にありがたく受け取ることにしよう🤲

 

 

歳を重ねるって、自分との闘いだわ。

もう少しでサザエさんと思ってたのに、いつの間にかサザエさんに手を振って別れを告げて もうそこにはフネさんが見えていますびっくり

はやいっハッ

過去には戻れないけれど、せめて可愛いおばぁちゃんを目指そう✋

 

 

 

追記:  記憶の中35歳の店長と今目の前に見える30代のスタッフが

とても同じ30代だと思えない不思議。記憶の35歳は、自分が何歳になっても、目上の人に感じてしまうものなのかな。

 

 

 

先日有線から流れてくる音楽に、ふと耳👂が留まりました。

 

素直になりたい

素顔になりたい

って いうことは〜♪

 

そう、アムロちゃんの曲

懐かしいゎ飛び出すハート

 

で、ふと…

素直ってなんなんだろう??真顔

って思ったわけでございます。

 

 

調べてみると、が純真な様・僻んだところがない様とありました。チラッと、自分の母親が脳裏🧠に浮かびました。

 

 

数年前に病気で倒れて、それ以来うちの父が母の老老介護をしています。老老介護というと、疲れ果てた暗いイメージを持たれる方もいるかもしれません。しかし、ウチは日中デイケアや訪問介護を利用しているので、父は昼間、適度に休息は取れているみたい。とは言っても、ベットから降ろしたりと体力は使うみたいで💦父の足腰が心配ではありますが。(父と母が立場が逆だったらもっと大変だったな)

 

 

とまぁ、そこまで暗いイメージの老老介護ではないんだけど、それには母の素直さも一役かってるのかもラブラブ

 

 

母はもともとホリの深い顔立ちで、目は二重を通り越して三重だったし顎もエラが張っていてしっかりした造形をしていました。昔ながらの父だったので、夫婦で腹が立つこともあったのだろうな。いつもちょっと不満を抱えて何か言いたげな、けんのある顔つきをしていました。

 

 

それが、今は。

いつもニコニコしていて、娘の私がいうのもなんだけど、ほんとに可愛らしいラブラブまさに少女という雰囲気。(ボケてはいません、まだ)

先日、父の誕生日だったのでテレビ電話をしたら、母は父の誕生日を忘れていたみたいで

「えぇーっそっかぁ!👀誕生日だった!忘れてた!」

(うまく言葉は出せないけど、そんな事を言いたげだった)

って、びっくりして目を見開いて父の方を見るんだけど、その驚きの表情がまた可愛くてハート話が上手く伝わらなくてプイッとちょっと拗ねちゃう時も、なんだか微笑ましいブルーハーツ

元気な時と比べると行動も意思疎通も不自由になったのに、不思議と以前よりニコニコしている事が多いし、肌艶も良くなりました。(父が思いのほか面倒見が良かったのもあるのかも??)

 

 

 

最近よくみる美容整形のネット記事。(👈私が受け口を気にしたから目に入ってしまうのかも)そこには必ず、『結局、顔を変えたところで中身が伴ってないと…』的なコメントが散見されます。そうは言ってもやっぱりベースが良いに越した事はないだろうちょっと不満と思いつつ…コロコロ表情が変わる母を見ていると素直っていうのは表面的な見た目の雰囲気をも変えてしまうのかなと思います。

対して過度な美容整形は、他人に美しく見られたいという自分への執着心がそれこそ見た目に滲み出てきて、ちょっとその気持ちが怖くなってくるのかもしれませんある程度自分の容姿に満足出来たら、次は他の人を満たせる様に気持ちをシフトしていけば良いのかなラブラブと思います。誰だって自分自分の人よりも、ちょっとはこっちのことも思いやってくれる人の方が、ねぇ…?

 

 

 

世間ではある意味『誰かに世話をされる様にはなりたくない』と言われる、みんなが否定する生き方を選ばざるを得なくなった母ですが、私はそんな父と母を見ながら、まだまだ学ぶべきものがあるなぁと思っています。そして、それでも前を向いて頑張って生きてる人もいるんだよ〜というのを、陰ながらこっそりお伝えしておきたいです。

私は『こうなりたくない』じゃなくて、『こうなりたい』と言える様になりたいかなハート

 

 

年齢を重ねるほどに鎧をまとっちゃうけど、いつまでも

素直さを持ち合わせていたいなニコニコ