事件事故を無くす事減らす事 | 月になった妻

月になった妻

H22年4月6日
全国交通安全運動初日に、交通事件遺族になりました
横断歩道を次男を抱いて青信号を横断中に右折大型車に妻を奪われました。
妻は即死、次男は妻が護りかすり傷ですみました。
妻が護った大切な息子たちと過ごしています

自分の変化

事件から9年が経ち

事件当初のパニック的な悲しみや怒りは

ずいぶんと変わってきたように感じる

 

独りで妻の名前を呼べば

涙は溢れ、ありがとうと、ごめんよと

 

笑えることも普通だし

景色や音楽も感情が伴うように

 

自分の事件では

一報では、「事故」は事故でしかないと感じて

加害者になぜ?と問いかけて

死角で見えなかったと言われ、

車には死角がある、それはどうしようもない事と思った

刑事裁判も終わり、執行猶予がついた時も驚きはあったが

法律がそういうものだと

執行猶予5年はとても重いと説明され

そうなのかと感じた

加害者も検事と私に一生償うと

私は頼むぞ頑張れよ、妻の人生を背負ってるのだからな

そんな事を言った。

 

判決後着信拒否され、

運送会会社にいたっと気に倒産の張り紙

そこから、やっとおかしいと感じた。

いろいろな事を調べ、陸運局や労基署。

運送会社の組合、近くの同業者。

知らなかった事実がぼろぼろ出てきて、

民事裁判で争う事になった。

 

東京高裁で、社長夫妻と加害者と

それぞれ2件の裁判を行った。

追及しきれない事ももあったが勝訴と思える内容だった。

 

裁判からも時間が経ち、

聞きたい事調べたい事があり、

社長と加害者に電話をしてみた、

怒りや恨みではなく。状況が知りたかった。

社長に談話した時は

「どうしました、なにか御用ですか」

俺の方が忙しいところすみません「事件の後は運送事業は続けていますか?」「あれから事業はたたんで運送はやってないよ」

「お忙しいところお手数おかけしました」

加害者は着信拒否されているので、奥様の方へ

「飯能のとうです。わかりますか」

「誰ですか?わかりません」

「9年前に旦那様に妻を」

「あ!どうも」

「旦那様は?」

「先日トラックから落ちてちょっと入院しています」

「今度、今の運送事業の様子や、事件後の事でお話しを伺いていので、またご連絡させてください」

まあそんな感じで、俺が知りたいのは、運送業界の実態や、どうすれば、事件事故を減らせるのか、雇用種や荷主の課題はなんなのか。そんな事を知るkとが出来れば課題の抽出対策がしたいと思ってます