しばらく前に、回転ずしの醤油の入れ物をペロペロやってネットにアップして騒ぎになった事件がありましたよね。
それで警察に捕まったのですが、その時の彼の言い訳が「やってはいけないことだということを知らなかったんです」というものでした。

でも、こういう「マナー」に属するようなことは、本来、知識として覚えることでも、教えることでもないのです。挨拶もまた同じです。知識として覚えていても使えないからです。
そもそも、マナーは状況に応じて発生するものなので、その本質はマニュアル化することが出来ないのです。

傘を脇に持って手を振りながら階段を登る行為が危険だということで問題になっていますが、これもまた同じです。

幼い子どもや老人が歩いているような歩道を自転車で爆走したり、スマホを見ながら自転車に乗ったり歩いたりする人も同じです。
バイトテロやカスハラをする人も同じです。

そして今、そういう「みんなが迷惑するような行為を平気でする人」がすごく増えてきています。

そういう人はみんな「教えてもらわなかったから」そういう行為をしているのでしょうか。じゃあ、知識として教えればそういう行為を止めるのでしょうか。そんなことはありませんよね。

当たり前のようにこういう行為をしてしまう人たちに足らないのは、「知識」ではなく「想像力」なんです。「こういうことをしたらお店の人や周囲の人が困るだろうな」とか、「自分も困ったことになってしまうかも」という想像力です。

崖の端っこに立って動画を撮ってアップしていたら落ちて死んでしまったという事件も起きましたが、こういう人に欠如しているのも想像力です。
軽装で富士山に登って、頂上付近でにっちもさっちも行かなくなってしまう人に欠けているのも想像力です。

そして今、「想像力」が欠如している人たちがどんどん増えてきています。想像力が欠如している人は自分中心的に考え、行動します。相手の立場に立って考えるためにの想像力が欠如してしまっているのですからそれは当然のことです。

そして、想像力が欠如している人は簡単に洗脳されてしまいます。
というか、洗脳に近いような子育てや教育を受けてきたから想像力が育たなかったのでしょう。

マスクをし続けたらどういう影響があるか・・・。ワクチンを打ち続けたらどういう影響が出るか・・・。もちろんマスクをしないで起きることに対する想像力も、ワクチンを打たないことで起きることに対する想像力も必要です。

その両方を想像した上で、自分の意志でどちらかを選ぶのならいいのですが、国が言っているから、医者が言っているから、周囲がみんなやっているからと言う理由だけで自分の行動を選択するような生き方をしていたら「自分の人生」を失うことになってしまうのです。

自分の頭で考え、自分の感覚で感じ、自分の意志で判断して行動するためには「想像力」が必要なんです。「本に書かれているような知識」ではなく、「多様な体験をすることで育つ想像力」です。

何回も木登りをしたことがある子は、木を見て登り方を想像することができます。危険も予測することが出来ます。
でも、木登りをしたことがない子は自分が登っていることを空想することは出来ますが、空想は願望であって現実に即していません。そのため、空想しかしたことがない子が実際に木に登ってしまうと危険なことになります。空想の中の自分には重力による重さもないし、手は痛くないし、疲れることもないのですから。

目の前にあるものを見て「上から見たらどう見えるか」「横から見たらどう見えるのか」を想像するために必要なのは空想力ではなく想像力です。
平面図を見て立体を想像するために必要なものも想像力です。

そして、空想は出来ても想像が出来ない子は、学んだことを覚えることは出来ても理解することが出来ないのです。「理解するためには想像力が必要だからです。
これは国語、算数、理科、社会の全ての教科において同じです。

「1 + 1=2」を覚えるのは簡単です。でも、これを理解するためには「色々な状況を頭の中に思い描いてシミュレーションしてみる想像力」が必要になるのです。そして、「多種多様な体験」があるから、その自由な想像が可能になるのです。

いっぱい勉強させれば理解力がアップするのではなく、自由な状況の中で多種多様な体験をしたから、その体験を頭の中で自由に組み替えることが出来る想像力が育ち、想像力が育ったから理解することが出来るのです。

そして、どうしてこんなにも想像力が欠如した子どもや、若者や、大人達が増えてきてしまったのかということですが、私は、それは子どもの「なんで? どうして?」や、「自由で多様な体験を大切にしない子育てや教育」、「子ども一人一人の子どもらしさやその子らしさを大切にしない子育てや教育」の結果なのではないかと思っています。

学びの基盤となる想像力は体験によって育つのです。いくら知識をいっぱい詰め込んでも、体験が乏しければ想像力は育たないのです。そこ結果は思春期頃になって表れます。