国も、学校も、社会も、「教育とは子どもの知的な能力を育てることだ」と思い込んでいます。
私がネットなどで見ている感じでは、「新しい教育」と呼ばれている様々な活動でも子ども達の知的な能力を育てることがその大きな目的になっています。

ちなみに、私が大好きなシュタイナー教育では「知的な能力の育ち」を教育の目的にはしていません。だからなかなか理解されないのでしょう。

そして、その社会全体の流れに飲み込まれてしまって、「子どもの知的な能力を育てることが子育ての目的」だと思い込んでしまっているお母さんもいっぱいいます。
「子どもの知的な能力を育ててあげないと生存競争に勝てない」と思い込んでいる人も多いです。

そのようなお母さんは、子どもが小さい時から文字を教え、英語を習わせ、知育玩具を与え、様々な教室に通わせています。

幼稚園も、ただ遊ばせてくれるだけの所ではなく、色々なことを教えてくれる所を選ぶ人が多いです。

絵本なども読んで聞かせるのではなく、自分で読ませ、さらには「どんな内容だったか」を子どもに報告させているお母さんもいるようです。

大分以前、東京のある幼稚園に呼ばれて、地域の幼稚園の組合?の先生達の合同研修をしてきたことがあります。

その時、私を呼んでくれた園長先生に「どうして私を呼んでくれたのですか?」と聞いたら、「私の園では〝遊び〟を教育の大事な柱として取り入れているのですが、それの意味が、地域のお母さん達や、他の園の先生達に伝わらないので、そういうことを自分の園の先生達や他の園の先生達にも伝えて欲しくて・・」と、おっしゃっていました。

幼稚園見学会をやっても、一通り見たお母さん達は「みんな楽しそうに遊んでいますね。でも、この園では子どもを遊ばせるだけなんですか?」と言って帰る人が多いそうです。

でも、知的な能力の成長ばかりを目的とした子育てや教育では、AIのような能力は育つでしょうが、人間らしさとつながった知性は育たないのです。

AIのような能力とは、問題や課題を与えられれば答えを得ることが出来る能力です。でも、AIは自分で課題を見つけ、自分の感覚で感じ、自分の意志で考え行動し、みんなの幸せを考えるようなことはしません。

AIナニーに子育てを任せたら、感覚や、心や、意識や、からだの育ちが遅れ、無気力な子どもに育ってしまうでしょう。
なぜなら、AIロボットは受け身的にしか考えないし、受け身的にしか行動しないからです。
「言われたこと」はやりますが、「言われないこと」はやらないのです。
(逆に、言われないことまで積極的にやるAIロボットが生まれたら怖いです。)

人間のお母さんのように、子どもに積極的に話しかけ、積極的に触れ、積極的に一緒に遊ぼうとはしないのです。子どもの一挙手一投足に反応し、子どもと一緒に笑ったり、子どもの困った行動に怒ったりはしないのです。
でも、子どもの「人間としての成長」に必要なのは、そのような沢山の「人間らしい関わり合い」なんです。
文字を教えることでも、英語を教えることでも、算数を教えることでもないのです。

幼い子どもが人間らしく成長するために必要なのは、人間らしさを備えた人間との人間らしい関わり合いなんです。そしてその「人間らしさ」こそが、AIとは異なる「人間としての知性」の育ちを支えてくれるのです。

身につけた知識や能力を「自分のもの」として使いこなし、精神的に自立して生きるためには、「AI的な知性」ではなく、「人間としての知性」が必要になるのです。

でも困ったことに、最近「AIナニー」のような子育てをしているお母さん達が増えて来ているようなのです。
そのようなお母さんは、必要がなければ子どもと関わろうとしません。言葉が理解できない赤ちゃんに話しかけるような無駄なことはしません。離乳食も手作りせず、買ってきたものを与えます。オンブやダッコもしたがりません。そして常にベビーカーに乗せて荷物のように運んでいます。

それでいて教育には熱心です。