「おおきくなるっていうことは」という絵本があります。(中川ひろたか・文 村上康成・絵)
その最初には
おおきくなるっていうことは
ようふくが ちいさくなるってこと


と書かれています。そして、色々な「おおきくなるっていうことは」が書かれていて、最後に

おおきくなるっていうことは
ちいさいひとに やさしくなれるってこと


という言葉が書かれています。

子ども達は自分の事だけを考えています。そしてそれが動物としての本能であり、子どもたちが自分の心とからだを守るために必要なことでもあります。

よくお母さんは、他の子をぶってしまった我が子に「ぶたれたら痛いんだよ」などと言いますが、そんなこと言われても幼い子どもにはそんな想像は出来ません。

中には、お母さんが我が子をぶって「ほら痛いでしょ、○○くんだって痛かったんだよ」などと「○○くんの痛み」を伝えようとしているお母さんがいますが、幼い子どもに分かるのは「自分がお母さんにぶたれた痛み」と「お母さんに否定された苦しみ」だけです。

お母さんに叱られるのが嫌で行動を自粛するようになることもあるかも知れませんが、それは「成長」ではありません。そのため、後から困った問題が発生してきます。

それにお母さんだって「○○くんの痛み」が分かっているわけではないはずです。そのようなことをするお母さんが分かっているのは、自分がちゃんとしつけが出来ていないことを見られてしまった悔しさだけです。

特に幼い子どもは「自分の事」しか分からないのです。これは成長に伴う生理的な現象なので、いくら丁寧に説明しても通じないのです。それは皆さんが超能力を使えないのと同じことです。いくら頑張ったって出来ないものは出来ないのです。
大人になっても「相手の気持ち」が分からない人もいっぱいいますよね。これはそれほど難しいことなんです。

また、「自分の気持ちを押しつけること」と「優しさ」を取り違えている人もいます。「あんたのためなんだから」などと「優しさと感謝の押し売り」をしているお母さんが大切にしているのは「自分の気持ち」だけです。それはただの「おせっかい」です。

また、子どもがケガをしないように、苦しまないようにと子どもの周囲から「危険なもの」を排除しようとするのも、やり過ぎてしまうと「自分の気持ちの押しつけ」になってしまいます。

子どもの周囲から過度に「危険なもの」を遠ざけてしまうと、子どもが親の目を盗んでそれに触れた時にさらに危険なことが起きてしまうのです。そして子どもは、成長と共に親の目が届かないところで色々とやるようになってくるのです。それは避けられないのです。

だから、子どもがまだ親の目が届くところで遊んでいる時期に、危険なものとの関わり方を伝えてあげた方がいいのです。ハサミや包丁の使い方、木登りや川や海での遊び方などです。
ハサミや包丁の使い方を伝えるためには、実際に、ハサミや包丁を使わせてみるしかありません。ケガをするかも知れませんが、側で見ている状態でのケガなら大きなケガにはなりません。

そうやって子どもの安心と可能性を育ててあげるのです。

そして、そういうことが出来るようになることが「おおきくなるっていうこと」なんです。

大人になるって事は「育てられた人」が「育てる人」になることです。
「守られていた人」が「守る人」になることです。
「伝承を受けた人」が「伝承を伝える人」になることです。
「優しくされた人」が、他の人にも優しく出来るようになることです。


他の子に乱暴をするような子は「乱暴」を伝承されたのです。
(たまたま当たってしまったのは乱暴とは言いません)
他の子に優しく出来るような子は「優しさ」を伝承されたのです。
「優しくしなさい」と叱られたからではありません。

だから、他の子に乱暴してしまう子に乱暴を止めさせるためには、ただ単に「乱暴」を否定するのではなく「優しさ」を伝えるしかないのです。

「でたらめな言葉」で話している子に正しい言葉を伝えたいのなら、「でたらめ言葉」を否定するのではなく「正しい言葉」で話しかけてあげるしかないのです。