一昔前の子ども達の遊びは、ほぼ全部つながりの中で伝えられ共有されてきたものです。
遊びにも「ルーツ」があったのです。

親子遊びの場で、色々な地方から出てきた人と一緒に「花いちもんめ」や「だるまさんが転んだ」などの伝承遊びで遊ぶと、みんな覚えている言葉が違うので驚きます。
そしてみんな「うちの地方ではこう言っていました」と色々と出てきて面白いです。

関東では「だるまさんが転んだ」なのに、関西では「ぼんさんが屁をこいた」と言っていると聞いた時にはビックリしました。

それが方言だとは知らないまま言葉を使っている人もいれば、その地方独特のイントネーションで話している人もいます。

うちの父方の家は代々浅草で、父も大人になるまで浅草で育ったので「ひ」を発音出来ませんでした。「ひ」と書いてあっても「し」と読んでしまうのです。それが「東京弁」の特徴でもありました。

そして私もまた小学生の頃まで「ひ」が言えませんでした。でも、鎌倉に越してきたらみんな「ひ」と「し」を区別していたので、恥ずかしくて必死で直しました。今だったら「フランス人も同じだよ」と言い返せたのですけど・・・。

でも多分これは言葉だけの問題ではないかも知れません。確認のしようがないのですが、言葉が染みついていたということは、言葉以外にも、ものの感じ方、考え方にも、江戸っ子らしさが伝わっているのかも知れません。

母親は東京で生まれて東京で育ちましたが、母親の母親と父親、つまり私の母方の祖母と祖父は山形の尾花沢から出てきた人でした。つまり、家は東京にあったのですが、家庭の中は山形だったのです。

自覚は出来ないのですが、それも私の感じ方や考え方の中には残っているのかも知れません。そのせいかどうか、東北出身者の知り合いが多いです。
宮沢賢治に惹かれるのも東北の血が影響しているのかも知れません。
そんな風に、人はみんな何らかのルーツを持っているのです。

ただし、そのルーツにも色々あります。
「血」のルーツだけでなく、思想や精神性のルーツもあります。現代日本人の思想や精神性の中にも、古代から受け継がれてきた思想や精神性がしっかりと残っています。お正月やお宮参りなどのときには、多くの人が神社やお寺にお参りに行くのもその表れでしょう。
占い好きも日本人としてのルーツとつながっているようです。

そもそも、「言葉を受け継ぐ」ということ自体が、その言葉に含まれている思想や、考え方や、感じ方を受け継ぐということなんです。

ですから、どんなに親のことが嫌いでも、その親と自分は似ているのです。
というか、似ているから好きになったり嫌いになったりするのです。

絵画を学べば、絵画を生み、育て、伝えてきた人たちとつながることになります。そして、絵を描くことを通して、それらの人たちの想いや、感覚や、考え方を受け継ぐことになります。それもまた「今の私」を支えているルーツの一つです。
私は子どもの頃から教会に通っていて洗礼も受けたので、キリスト教も私のルーツの一つです。
宮沢賢治も私のルーツの一つです。

皆さんはどんなルーツとつながっていますか。そういうことを考えてみるのも「自分探し」の手助けになりますよ。