「自分らしさを大切にしよう」という言葉はよく聞きますが、ではその「自分らしさ」とは一体なんですか?

今の時代「男性らしさ」とか「女性らしさ」という考え方は否定されています。
「母親らしさ」「父親らしさ」という考え方も否定されています。
年令による「らしさ」も否定されています。
生まれ持った容姿、容貌にもこだわりません。
実際、流行の洋服を着るように、流行の人の顔に似せてお化粧をしたり整形をしたりする人も多いです。
人の移動が激しい現代社会では「出身地」もあいまいです。

みんなが同じ標準語を話し、みんなが同じ教育を受け、みんなが同じような生活をして、みんながお金や社会的な成功を求め、みんなが金太郎飴的な生き方をしている現代社会で「自分らしさ」って、一体何なんでしょうか?

だからこそ「自分らしさを大切にしよう」ということが言われているのかも知れませんが、「自分」を構成している様々な「らしさ」を否定しておきながら、観念的な「自分らしさ」だけを肯定しようとすることには無理があるのです。

「自分らしさ」は、様々な「自分のルーツにつながるようならしさ」を土台にして生まれてきます。過去がなければ今の自分は存在しないのですからそれは当然のことです。

皆さんが日本人で、日本語を話しているという時点でそれもまた「自分らしさ」の一部なんです。感じ方も、考え方も、行動パターンも日本人なんですから。
その「自分のルーツにつながるようならしさ」を否定している限り、「自分らしさ」を育てようがないのです。

「親ガチャ」という言葉がありますが、「こんな親」望んでいなくても、自分を産んで育ててくれた親は間違いなく「自分のルーツ」の一つです。

どんなに嫌いな親であっても、自分の感じ方、考え方、行動パターンの中には、確実に親の痕跡が残っているのです。そして、それは消しようがないのです。
言葉だって、親が教えてくれた言葉を話しているのです。

町中でよく親子で歩いている人を見かけますが、歩き方や姿勢がよく似ています。多分、話し方も似ているのでしょう。

その自分のルーツを否定しておいて「自分らしさ」を求めても無理なんです。「親から受け継いだもの」自体が「自分らしさ」の一部なんですから。

ただし、嫌いな親を超えて成長することは可能です。でもそのためには先ず、「親から自分が受け継いだもの」を肯定する必要があるのです。そこが出発点です。
親を否定しているだけではいつまで経っても「自分らしさ」を育てることができないのです。そのままでは、嫌いな親に似た人間になってしまうでしょう。

「自分らしさ」は、親や様々なつながりから受け継いだものを土台にして、自分の力で新しく育てるものなんです。