自分の気質を知りたいときには

○自分はどういう状態の時が一番居心地が良いのか
○自分はどういうことに興味があるのか
○自分は他の人とどういう関係を望むのか
○仕事でも、趣味でも、生き方でも、自分は何をしたいのか
○自分はどういう人にあこがれるのか
○自分はどういう生活を望んでいるのか
○どういう絵や音楽が好きなのか
などということを考えて見るといいと思います。

絵本などでも色々あります。皆さんが「意味不明」とか「くだらない」と感じる絵本もういっぱいあるでしょう。でも、そういう絵本でも、それを良しとして描いた人がいて、出版した会社があるのです。つまり、皆さんが価値を感じないようなことに対して価値を感じる人もいるということです。

こういう場合、「そういう絵本を買うような人はセンスがないから」とか「教養が低いから」とか、「感性が鈍いから」などと、そういう絵本を肯定する人を否定するような判断をする人がいますが、そういう人から見たら皆さんが選ぶような絵本の方が意味不明なんです。

このような違いの背景には気質の違いがあるのです。それは単に「リンゴが好きか、ミカンが好きか」「ピカソが好きか、ルーベンスが好きか」ということと同じレベルの違いに過ぎないのです。

また、その人の気質は、「何が出来るか」ではなく「何がしたいのか」ということの方に表れます。「何が出来るのか」は育ちによる影響も大きいのであまり当てにならないのです。
また育ちによって、本来の自分の気質とは違う状態になってしまっていることもあります。

自分の気質に合わないことでも小さいときからやらされているとそれなりに出来るようにはなってしまうからです。

でも、自分の気質を判断する時に大切なのは「出来るか出来ないか」ではなく、「その活動を楽しむことが出来ているのか」ということの方なんです。
どんなに上手に出来ていても、自分の気質に合わないことは心から楽しむことが出来ないからです。

それが「今の状態」で人を分類する一般的な性格分類と、「本来の自分」を見つけようとする気質の考え方との根本的な違いでもあります。

また、ここに書いたことは全て「自分」と「自分の外の世界」との関係性を示しています。

ですから、いくら「自分の心」と向き合っても、「自分と自分の外側の世界との関係性」に目を向けないことには、「自分の気質」は分かりません。

「悩みが多くて苦しいから憂鬱質だ」と考える人は多いです。
でも、「悩みや苦しみを消したい」を思っている時点で、その人は憂鬱質ではない可能性が高いのです。なぜなら、憂鬱質の人にとっては、「悩み」も「苦しみ」も大切なものだからです。

消し去りたいと思うのような悩みや苦しみは「外側からやってきたもの」で、「内側から生まれたもの」ではありません。
それに対して、憂鬱質の人の悩みや苦しみは、「外側」からではなく「内側」からやってくるのです。それは例えば「私はなぜ生まれてきたのだろう」と悩むようなものです。
それに対して、「子どもが言うことを聞かなくて苦しんでいます」というような苦しみは外側からやってくる苦しみです。

多血質の人は「楽しいだけの世界」でも全くOKですが、憂鬱質の人は「楽しいだけの世界」はあまり好きではないのです。
粘液質の人は、ただジーッとしているだけでも楽しいのです。
胆汁質の人は目標に向かって頑張っている自分が好きです。