家族の中の誰かが不幸になっても、その負の影響は家族全員に及びます。また、他のみんなが不幸なのに一人だけ幸せになるということもありません。家族の間に嫉みや恨みが生まれ、その幸せを阻害しようとするからです。


それが可能になるのは、家族の間に「一人の喜びをみんなで共有出来る関係」ができている時だけです。そういう時には、「一人の喜び」が「みんなの喜び」になります。

家族は運命共同体だからです。


これは学校のクラスでも同じです。違うのはクラスの場合は「問題を抱えた子」を排除できるということです。家族という関係ではこれは出来ません。


じゃあ、排除すれば問題を解決できるのか、他の子は幸せになるのかというと、そういう結果にはなりません。

「問題を起こす子」を排除すれば、その後しばらくは「問題が起きない状態」が訪れるでしょう。先生は授業がやりやすくなるでしょう。でも、それで残った子達が幸せになるというわけではありません。


「問題を起こす子」に対して同じ立場でいた他の子どもたちが、「共通の問題」を失いバラバラになります。

また「排除」を喜ぶような子は他の子とつながることが出来ませんん。「排除」を悲しむような子は学校に行くことが苦しくなるでしょう。


また、「排除を喜ぶような子」の多くは、自分自身でも問題を抱えています。そのため、そういう子の中から、第2、第3の「問題を起こす子」が生まれてきます。

オセロのように、状況次第で白と黒が簡単にひっくり返ってしまうのが人間という動物なんです。


以前、河合隼雄さんの本で読んだのですが、子どもの中の一人が問題児で相談に来られた方がいたそうです。それで色々とお母さんの話を聞いているうちにお母さんの意識が変わったそうです。すると、子どもを治療したわけではないのに子どもの問題行動が減っていったそうです。


面白いのはその後です。問題を起こしていた子が問題を起こさなくなってくると、それまで問題を起こさなかった子が問題を起こすようになってくる事があるそうなのです。


お母さんが一人の子で手一杯の時は、他の子は問題を起こさないのです。お母さんのことが大好きだからです。

でも、問題が片付いて手が空くと「僕のことも見て」と問題を起こすようになるのです。


「問題を起こして排除された子」も、「問題を起こさざるおえないような状況」の中にいたから問題を起こしていただけであって、「問題児」という固定された性格の子どもではないのです。


そして「つながり」に支えられていない子はみんな「問題児予備軍」でもあるのです。だから、排除するという方法ではイタチごっこにしかならないのです。


これに対処するためには、「一人の問題はみんなの問題でもある」という意識で、子どもたちをつながりの中で支えてあげるしかないのです。


問題を起こしている子も、「問題を起こす理由」が消えれば、問題を起こさなくなるのです。


難しいのは、その問題が家庭の中にある場合です。学校の先生は子どもの家庭の中までは手を出せませんから。


そういう場合は、何をやっても子どもの問題行動は消えないかも知れません。それでも、先生がそういう子どもにどのように向き合っているのか、ということが他の子どもたちの心に大きな影響を与えるのです。


先生が、「問題を起こしている子」も仲間として関わろうとしている姿を見て育った子は、大人になった時に、そういう苦しい子どもを出さないような家庭を築くことができるようになるのではないかと思います。


そして、同じことが社会や、国や、地球単位でも言えるのです。

私たちは運命共同体なんです。

だから競争なんかしている場合ではないのです。