食欲はお腹が空いているときにしか目覚めません。
自分の意志で行動するのは退屈なときです。
自分の意志で勉強するのは、あこがれや目標を持ち、そのあこがれや目標にはまだまだ届かない自分を自覚したときです。

人は何らかの「不足」を実感じたときにしか、それを求める衝動が目覚めないし、能動的に行動を起こさないのです。

お腹が空いていないときには何かを食べたいとは思いませんよね。
そんな時に、無理矢理「食べろ」と食べ物を押しつけられたら苦しくなって逃げますよね。

でもだからといって、お腹が空いていることを知っているだけではダメです。
お腹が空いているときにいい匂いを感じたり、目の前に美味しそうなものがあるから人は強く空腹を感じ行動し始めるのです。

勉強も同じです。「自分は無知だ」ということを知っていても、「知らない」が「知りたい」につながらなければ、勉強という行動にはつながらないのです。

「お腹が空いている」が「食べたい」につながらなければ、実際の「食べる」という行動は始まらないのです。

だから、子どもの能動的な行動を促すためには、「お腹が空くような活動」をさせると同時に、「食べたい」という意欲を刺激するようなきっかけが必要になるのです。

そこで必要になるのが「あこがれを感じるようなものとの出会い」です。食欲で言えば「美味しそうな食べ物との出会い」です。

「成長欲求」や「学び欲求」の場合も、「求めるもの」や「やりたいこと」が見つかったときに「飢え」が目覚め、子どもは自分の意志で行動し始めるのです。

でも、現代の多くの親が子どもが退屈しないように「退屈だ」と言い出す前からいっぱい色々なものを与えています。
空腹にしないように、次から次へと色々なものを与えています。
これは食べ物の話しだけではありません。刺激も、遊びも、勉強も同じです。

「食べたい」と言う前に食べ物を与え、「知りたい」と言う前に教えようとしています。

学校の先生も、夏休みなどに子どもが退屈して困ったことをしないように宿題をいっぱい出します。
お母さんも子どもが退屈しないように、色々なものを与えたり、色々な○○教室に通わせています。

お腹が空くためには「からだを使った活動」が必要になるのですが、現代社会では子ども達の身近な生活環境の中にそういう場がありません。

お菓子をいっぱい与えておいて、「これじゃ栄養が足らないから」と野菜や他のものを食べさせようとしても無理です。

ゲームをしていてもお腹は空くはずなのですが、ゲームに夢中になっていると正常な脳の働きが押えられてしまうため食欲が目覚めません。「からだを動かすための栄養」ではなく、「頭を動かすための糖分」は求めるかも知れませんけど。

また、日常的に強い刺激にさらされている子は、弱い刺激やデリケートな刺激を感じなくなります。微妙な変化にも鈍感になります。その結果、弱い刺激やデリケートな刺激を楽しむことが出来なくなります。

人の心の変化にも鈍感になります。

<続きます>