普通、人は、自分とは異なった意見を持った人とは話し合いたくありません。
話し合ったとしても、すぐに「どっちが正しい」という言い合いになるばかりで議論にもなりません。

ちなみに、「言い合い」と「議論」や「討論」は全く別物ですからね。
子どものケンカはただの「言い合い」で終わります。子どもは相手の言うことには耳を傾けず、ただただ、自分の正しさと、言いたいことだけを言い続けるからです。

テレビで時々目にする国会でのやり取りも、子どものケンカとあまり変わらないように見えます。与党も野党も、議論や話し合いをして、更に良い第三の答えを求めようとする気持ちは全くなく、ただ、「自分の方が正しい」と言い合いをしているだけのように見えてしまうのは気のせいでしょうか。

日本人は議論が下手だと言われていますが、それは、自分とは異なる考え方を理解しようとしないからでもあります。同じ思想で集まったグループ内では、異なった思想の人達の考え方を理解しようとする行為でさえ否定されます。

戦争中、日本人がアメリカ人の考え方をもっと理解していたら、戦争はあんな結果にはならなかったと思います。でも、戦争中はアメリカ人の考え方を学ぼうとすること自体が非国民的な行為として否定されたのです。
政府も、国民からアメリカ人の考え方やアメリカ文化の状態を隠そうとしていました。英語を学ばせなかったのもそのためです。

「彼(敵)を知り己を知れば百戦殆(あやう)からず」という言葉は昔の中国の「孫子の兵法」に出てくる言葉ですが、どうも現代の日本人はその言葉の大切さを忘れてしまったようです。

相手の言っていることが理解出来ない状態では、議論など出来ません。
そもそも、自分の意見や考え方を持っていない人には、相手の言っていることが理解出来ないのです。
「自分の考え方に基づく自分の言葉」を持っているから、相手の言葉を理解することが出来るのですから。


ちなみに、子どもの言葉は「自分の考え」ではなく「自分の気持ち」を伝えるためのものです。だから、議論が出来ないのですが、日本では大人になってもそのままの状態の人がいっぱいいるのです。(それは日本語の特質も関係しています。)
だから、子どものケンカのようなただの言い合いにしかならないのです。
そしてだから、自分の考え方を広げたり、自由に考えることも出来ないのです。

自分の考え方を広げたいと思うのなら、自分とは異なる人の言葉にも耳を傾けて下さい。
そして、共感する部分を感じたら「どうして共感するんだろう」と考え、「共感できない部分を感じたら」「どうして共感できないんだろう」と考えて見て下さい。
また、相手の人がそのように考える理由も考えて見て下さい。

そういう行為を繰り返しているうちに「自分の考え」というものがはっきりとしてくるのです。
「自分なりの考え方」というものも育っていくのです。

「耳に心地よい言葉」や「自分に都合がいい言葉」ばかりを聞いていたら、考える力は育たないのです。