昨日は「気質は色で言う所の原色のようなものです」ということを書きましたが、実際、気質は色に喩えられます。

多血質はフワフワした「黄色」、胆汁質は主張が強い「赤」、粘液質は自己主張しない「緑」、憂鬱質は奥行きと深さを感じる「青」です。

ただ、誤解しないで欲しいのは「あの人は多血質だ」と言っても、黄色の多血質の要素しか持っていないわけではないということいです。

そうではなく、人は皆四つの要素全てを持っているのです。ただ、その割合が少しずつ違っているだけなんです。で、「赤も、青も、緑も持っているけど、全体としては黄色の要素が強い」という人を「あの人は多血質だ」と言っているだけです。

でも、普段は黄色みが強い多血質の人でも、何かに成功したりして自信が付けば、一時的にその人の中の赤い要素が表に現れてきて黄色が引っ込み、胆汁質っぽくなるのです。
でも、否定されたり失敗したりすれば、青い色が表に現れてきて黄色は引っ込み、憂鬱質っぽくなります。

ほとんどの場合、その変化は一時的なんですが、でも、赤くなったり、青くなったりと変化したときは自覚出来ても、元の黄色に戻ったときは自覚出来ません。
人の感覚は、「変化」(非日常的な状態)は明確に自覚出来ても、変化しない「ニュートラルな状態」(日常的な状態)は自覚出来ないように出来ているからです。

また人は皆、四つの気質の体験があるので、自分の気質が分からなくなってしまうのです。

また、憂鬱質(青)が強いからと言って、みな同じ状態ではありません。
憂鬱質の人は憶病で不安が強くなりやすいですが、思索や思考でその憶病さや不安を乗り越えることが出来る憂鬱質の人もいるのです。
でもそのためには「安心」と「学び」が必要になります。

以下の絵は、上が青の時代のピカソの絵で、下はがモネの睡蓮です。
両方とも「青」の要素が強いですが、訴えてくるものは全く違いますよね。

それと違ってはいても、二人とも巨匠ですから「青」をうまくいかしていますよね。でも、素人の場合、青の使い方が下手で絵を台無しにしてしまう場合もあるでしょう。

元々のパレットの色は決まっていても、その決められたパレットの色を有効に使って素敵なアートにすることも出来れば、台無しにすることも出来るのです。

それは気質の問題ではなく、今度は育ちの問題になります。
元々は同じような気質(パレット)を持っていても、その子の気質(パレット)を生かした育て方をされた子は素敵なアートになるでしょう。でも、その子の気質(パレット)を無視した育て方をされた子は困った状態になってしまうでしょう。