昨日は、

人が自分を知り、自分の個性を生かすことが出来るようになるためには、多様な他者との、多様な形での関わり合いが必要になるからです。

ということを書きましたが、この出会いを支えてあげるのが大人の役割でもあります。

教育もまた、この出会いのためにあります。

子どもを教育することの意味は「知識を覚えさせる」ことにあるのではなく、子どもを色々な世界と出会わせてあげることの中にあるのです。
子どもはその出会いを通して、意識と、心と、からだの自由を得ることが出来るのです。
本来は、「成長する」ということは「自由を得る」ということと同じことなんです。


子どもに様々な形での自由を与えるために教育があったのです。テストでいい点数を取らせるためではなかったのです。
だからこそ、子どもにとっても、学ぶことが喜びだったのです。
本来、勉強は楽しいものなんです。

知識はその出会いのための扉に過ぎません。でも、現代の教育では、子どもたちにその扉そのものをコレクションさせるばかりで、扉を開けません。

そのため扉が「扉」として機能していないのです。そして、集めた扉の量と素晴らしさばかりを競い合っています。
そして、集めた扉にこだわることで、その扉の向こう側の世界への興味を失わせてしまっています。

結果、本来の教育の目的である「子どもを育てる」ということが出来なくなってしまっているのです。

また、扉を開けたとしても、知識を覚えるだけの教育しか受けて来なかった先生には、その扉の向こう側の世界のガイドが出来ません。入口に立ってうろたえるだけです。

宮沢賢治という人はそういう授業が出来る人でした。多くの人が童話作家としての宮沢賢治しか知りませんが、1921年から26年の間、花巻農学校で教鞭も執っていたのです。

遙か昔の、たった5年間のことですが、その時の生徒達はその授業を何十年も経った後でも生き生きと想い出すことが出来るそうです。宮沢賢治の授業はそれだけ強烈だったのでしょう。
畑山博という人と、「東京賢治の学校」の創設者でもある鳥山敏子がその聞き取りをして本にまとめています。

賢治は生徒達に、「頭で覚えず、いつでも身体で覚えなさい。すると知識に感動できるのですよ。詰め込みでは何も理解出来ない。ただ感動せよ。」と言っていたそうです。

賢治が実際にどういう授業をしていたのかは「教師 宮沢賢治のしごと」(畑山博著)とか、「先生はほほ〜っと宙に舞った 宮沢賢治の教え子たち」(鳥山敏子著)などをお読み下さい。
面白いですよ。

今、学校は「授業の遅れをどうやって取り戻すのか」ということにばかり熱心です。
そのため、まだ、コロナが「うつる危険性、うつらされる危険性」があることを認識しているのにも関わらず学校を再開しました。

そして、子どもたち同士の間で「コロナがうつる危険性、うつらされる危険性」を回避するために、子どもの自由を奪い、規則でがんじがらめにし、学校におけるあらゆる行動をコントロールしようとしています。
子どもの心と、からだと、表現の自由を奪い、ひたすら知識を教え込むことで授業の遅れを取り戻そうとしています。

当然、そのような授業では、感じる時間、考える時間、理解する時間、体験する時間などは大切にされていないでしょう。

でも、そんな状態で授業を再開しても子どもたちは授業に集中出来るわけがありません。覚えることは出来ても理解することが出来ません。理解出来ても吸収することが出来ません。ましてや「学ぶ喜び」など得られるわけもありません。それで学校に行くこと自体が苦しくなってしまいます。

結局、そこにあるのは「大人の都合」だけです。また、「教科書を使わないと子どもの教育が出来ない」、「教科書の内容を理解させ、覚えさせるのが教育だ」という思い込みもあります。

だから、「学校」という場にこだわり、子どもを危険にさらしてまで、学校に来させようとするのです。

でもそれは、「大人の都合に立った教育」であって、「子どもの立場に立った教育」ではありません。

無理にでも学校に来させ、夏休みまで削って授業をすれば、ある程度は「授業の遅れ」を取り戻せるでしょう。でも、「学校の授業の遅れ」は取り戻せても「子どもの学びの遅れ」は取り戻せません。

学校における学びの主体としての子どもの心を無視してしまっているからです。

こんな時こそ、学校は従来のカリキュラムに縛られない自由な発想で、自由な授業をすべきなんです。

「学校主体の教育」から「子ども主体の教育」へとシフトするのです。

私は今回のコロナ騒動は、そのいいきっかけなのではないかと思うのです。

お子さんがもし「学校に行きたくない」と言ったら、それを否定的に考えるのではなく、〝シメタ〟と思って色々なところに出かけたり、色々なことをしたり、色々な体験をしたりして、子どもと一緒に「学校では学ぶことが出来ない学び」を楽しんで下さい。

学ぶ楽しさを知った子は、学校の遅れなどすぐに取り戻せます。