昨日の終戦記念日にまたまた「太陽の子」を観に行きました。
ノベライズも読了して前日に
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を拝見して映画の裏話、監督、森Pさんの想いを感じる事ができて、また違った感情で観る事ができました。
そして、お盆にも実家に行ったのですが、今日も渡しものがあったので行ってきました。
実家は車で15分ぐらいのところにあります。
母は出かけていたのですが父が
「こんなのあったんよ」
って、31年前の新聞のコピー
このブログで書いた事があったのかな?
13年前に亡くなった祖父は被爆者手帳を持っていました。
亡くなったのは原爆症とは全く関係なく93歳まで生きたので、天寿を全うしたと思います。
生前、祖父はあの日広島で見た事をあまり教えてくれませんでした。
小学生の時の夏休みの宿題で祖父母から戦争体験を聞いて作文を書くというのがあった時も、話してくれなくて、代わりに県の被爆者の会?の会報に載せるための原稿を読ませてくれただけでした。
この新聞記事を読んで、あの時の記憶が何年たっても祖父の周りに亡霊となって現れていたんだなと。
口に出して言うと、思い出して辛かったんだと。
話してくれなかった代わりに、小学生の時夏休みになったら大阪のデパートで開催してた「平和展」に妹と一緒に連れて行ってくれました。
あの時、戦争行方不明者情報?という掲示板を食い入るように祖父が見ていたのが今でも覚えています。
そして、膝が悪くなってしまうまで毎年8月6日に広島の平和記念式典に参加してたのですが、ある時から8月9日の長崎の平和記念式典に参加するようになりました。
ひょっとしたらこの記事にある近くに住む亡くなった被爆者の方は、長崎で被爆されたのかもと思いました。
って、もう祖父も亡くなってしまってるので本当の事は分からないままだけれど。
この新聞記事、コピーさせてもらって子ども達にも読んでもらいたいと思います。