休日の散歩から帰ると庭に違和感…
ん~、
庭にこんな置物あったっけ?
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庭に鹿侵入してんじゃん!
ヤツは目があっても動じない。
下手に刺激を与えてパニックった鹿が車等にダメージを与えるほうがマズい。
室内から窓を強めに開け閉めしてなんとか撃退。
札幌の甥っ子に見せたら大爆笑。
外出していた親に見せたら、被害確認…咲く前の花や野菜の芽をやられたようで、
怒り心頭、人間の出入りに邪魔くさい塀が増えちゃった。
週末は、ヤリスの下部錆止めの仕上げのタッチアップ。
そして、ちょっと気になったマッドフラップの角度調整。
最終的にアイフォンの角度測定アプリを使って調整してみる。
気になり始めたら終わらない、フレーム固定ならまだしもインナーカバーとバンパーの合わせ目の共締め部、
ほどほどに。
昼から運動公園へ。
車を見て「Iっと」かなと近づいたら知らない顔…。
そういえば37だけどクーペとセダン違うし色も違う。
その後「Mだ」さんと運動公園では数年ぶり、
DRCCメンバーに合う前によくRCの基本を教えてくれた人です。
バッテリーが無くなり帰り道、まだ明るいので昆布森方面へ寄り道ドライブ。
ヤリスも800kmを超えたので少し回し気味にスーンスーン♪
アマプラで「ケビン・シュワンツ物語」というインタビュー&ドキュメンタリー作品を見た。
現役時代は紙媒体でしかわからないけどスゴい選手だとは知っていた、
ゼッケン34のカッコいいヘルメットとか以外に詳しくは知らなかった。
引退時の決め手、ライバルだったウェイン・レイニーがクラッシュ原因で引退したことによるモチベーション低下の内容がよくわかった。
世界に出てからじゃなく国内時代からずっとライバルだったのね。
デビューから動画で見たかった選手といえば、
94年ワイルドカード参戦の阿部”ノリック”選手がWGP500日本GPにスポット参戦。
Mr.飲茶のスポンサー貼られた全日本マシンで一時トップ激走で、
チーム監督になっていたレイニーに抜擢され95からフル参戦。
ゼッケンは後半は17が多かったけど割と変わったかな。
97年、田舎から出て念願のテレビ東京を見ることに成功。
WGPを映像で見ることができたのが大きな思い出。
そう、その年に加藤大治郎選手の走りに魅了されたのだ。
今思い返してもいろいろなレースを見た中でこの時のレースが一番興奮した。
全日本のマシン&腕で、スタートから最終までトップグループで走り、
ファイナルラップの鈴鹿シケインで2回も3回も入れ替わるトップ争い、
そして最後の最後にトップゴール。
このVHS残すべきだったなぁ、また見たい。
その後ゼッケン74は加藤大治郎とともに永久欠番に。
バイク乗るようになった強烈な憧れは、
”大治郎”と”ノリック”だったmorickでした。