■「容疑者Xの献身」東野圭吾/作
いまさらですが、この本を読みました。
(貸して下さった友人よ、すまん)
私は「東野ファン」ではなくて、彼の本も読むのは2~3冊目。
なので、ファンの人にとっては多くの思惑がある作品かもしれないが、
そこまではおそらく踏み込めないので、その点はご容赦を。
まず、読んでいて理系の人が書いたっぽい作品だなと思った。
案の定、後から調べると、作者は理系出身。
なぜ私が「理系」のにおいを感じたかというと、文章の構成が非常にわかりやすかったから。
この作品がなぜこんなにひきつけられて一気に読んだかというと、
内容の精密さゆえに他ならない。
ただ、それが悪いのではなくて、それだけ登場人物の人格、各人物の思考、
犯人側と警察側の論理が明確であり、いや、すんなりと誘導されてしまった。
私は結構こわがりで、だからホラー映画は観ないことにしているし、
「告白」を読んだ日にはこわくて一人でトイレに行けなくなったりした。
私は今回、この本のほとんどの部分を電車等で読んだのだが、
クライマックス部分だけは夜、部屋で読んでしまったら、
すっごくこわくなって、かなり困った。TVを大音量で付けた。
そんなこわがりなもんだから、このブログを本当は読んだ直後に書きたいという思いはあったものの
もはや本に近寄ることも出来ずに、読み終えた翌日に、今これを書いている。
そうすると、残念なことに、あれだけ衝撃だった事実も
不思議と「なんてことないこと」に変化をとげてしまった。
推理小説の性とはいえ、なんとさびしいことか。
それでも作者のメッセージが後半部分に大きく託されていたので
それをもとに内容を思い出している、という形だ。
そうした現象を多くの人が私と同じような感覚になったのなら、
この本は成功したと言えるのだろう。
ちなみに、この本を読んで「頭のよさ」とはなんだろう、ということを考えた。
この小説の魅力の一つに、石神と湯川のキャラクターがあろう。
彼らが「天才」がゆえに、彼らのやりとりが面白い。
私は、「天才」の「天才」たるゆえんというのは、「人と違うこと」と思っている。
彼らが自分と違うことを考えているから、それが面白い、ということなのだが、
おそらく数学者の中には、石神と同じような感覚の人が存在して、
彼も「天才」あるいは「頭がいい」と分類されるのか、それはそうとは言えない。
私は、数学者の中にもバカはいる、と言いたいのではなくて、
「天才」「頭がいい」というのは、とても主観的な概念であって、
小説の世界だからこそ「万人が天才と認識する人物」が創造できるのである。
そして、相対的に日本には理系人口が少ないので、そういう小説を面白いと思う読者は多い。
さらに、そういう小説を書ける小説家も多くはないだろう。
作者自身にそうした力量を持ち合わせていて、そして
理系的文体の中にあれだけの「愛」というメッセージを込めることができたということを
称賛したい。
ちなみに、それでも、先述のように、推理小説は、読後風化しやすいものだと思っている。
だから、推理小説の書き手には、その対策を個々に研究する責務があると思っている。