瑠帷の家 -15ページ目

瑠帷の家

いつでもだれでもいらっしゃい。

(Yahooブログ「瑠帷の話」から移転)

わかれみち

 

わたしが幸せになる道は

あなたには炎の道

あなたが幸せになる道は

わたしには氷の道

真逆に往くとは限らない

 

さよならさよなら 聞こえてますか

さよならさよなら 何度でも言うわ

 

続いていく道が

二つだけとは限らないんじゃないか

二人で笑っていられる道が

どこかにあるんじゃないか

探す間も無く春が去る

 

さよならさよなら 聞こえてますか

さよならさよなら 言い続けるわ

さよならさよなら 聞こえてますか

さよならさよなら 何度でも言うわ

忘れな草

 

哀しいことも 嬉しいことも

山の彼方に置いてきた

月も照らさぬ山の彼方に

何もかもを置いてきた

 

この晦日の川の岸

咲けよ 小さな忘れ草

この晦日の川の岸

咲けよ 小さな忘れな草

 

舟の上から岸辺は遠い

花の姿も霞んで見える

街の灯りは明るすぎて

花の姿を照らせない

 

この晦日の川の岸

咲けよ 小さな忘れ草

この晦日の川の岸

咲けよ 小さな忘れな草

 

置いてきただけだよ 忘れたわけじゃなく

きっとまだ あの彼方に

みんな そのままのはずだよ

 

明日には枯れる定めでも

咲けよ 小さな忘れ草

明日には咲かぬ定めでも

咲けよ 小さな忘れな草

記憶のように

 

誰かのことを忘れているみたい

写真の半分が破れてるみたい

なんでもないピースがひとつ

抜け落ちているみたい

 

ずっと思い出せなくても

きっと困らない

今までこうして 生きてきたから

けれどある夜 思いがけず

止まった時計のすべての針が

偶然 正しい時を指す

 

心よ戻れ 再び戻れ

季節がこの国を廻るように

心よ戻れ 記憶よ戻れ

今甦った この記憶のように

 

春も夏も秋も冬も

廻ってくるとは限らない

朝も昼も夜も明日も

やってくるとは限らない

それと同じぐらい

あの人が戻らないとは限らない

 

心よ戻れ 再び戻れ

季節がこの国を廻るように

心よ戻れ 記憶よ戻れ

今甦った この記憶のように




漢字の読み

廻る:めぐる

甦る:よみがえる

一瞬

 

傷つけるつもりなくても

傷つくつもりなくても

何気ない一言で心は遠ざかる

ありえないほど嫌いになる

 ならば何もかも 黙ってしまおうか

 いつまでも口を噤んで歩んでいこうか

 

何気ない一瞬で心は荒れすさむ

殺してみても生まれ変われない

 ならば何もかも 忘れてしまおうか

 幸せを見つけたことも 君の笑顔も

 

寒い野原の一車線を駈けて

枯れた荒れ野の十字路で逢おう

寒い野原の一車線を駈けて

枯れた荒れ野の十字路で逢おう

 

寒い野原の一車線を駈けて

枯れた荒れ野の十字路で逢おう

寒い野原の一車線を駈けて

枯れた荒れ野の十字路で逢おう

先日の記事(こちら)は、
なかなかに驚愕の内容でした。
私は、同性愛者がどのように思われているのかを、
なんとなくでしか知らなかったのです。

周囲では、一定の理解を示してくれる人はいます。
というか、私の周囲ではほとんどそうです。
差別って、どこにあるのかなあ、なんて思っていたほどですが、
やっぱり(意外に?)、あるんですね。

さて、先日の記事の中から、
気になる内容を見ていきましょう。

>性的志向の問題なんだから
>ゲイなんてロリコンやサディストと大差ないだろ

   まず、字が違います。「志向」ではなく「指向」です。
   それを単なる誤字としても、
   文の後半から判断するに、
   「性的指向」そのものを理解していないようです。
   後に出てきますが、ロリコンやサディストといったものは、
   「性嗜好」であり、別物です。

>まともな奴は、他人に迷惑かけない限り差別なんてしないし。

   これは「他人に迷惑をかけたら差別する」という、
   いわば『差別宣言』でしょうか?
   それはともかく、
   限定的に「ここからは差別する・しない」などというのは、
   無知というほかありません。
   私は、差別とは無知のことだと思っていますが、
   この発言者はまさに、差別そのものを知らないのです。
   その発言こそが差別であることを、知らないのです。

>同性愛以外の人権教育は社会にとっても得であると見なされたから認められた
>しかし同性愛は社会にとって絶対的に害悪でしかない

   人権教育は損得でするものではありません。
   失わされた『当然の得』を取り戻すためにするものです。
   この発言者は、他の人権教育や差別解消への取り組みの意義を、
   わかっていないようです。
   また、「同性愛が社会にとって害悪でしかない」ということの
   論理的な根拠を示すべきです。

>なんでもかんでも人権、人権て、、、
>しまいに犬まで犬権ていうようになるんとちがうか

   人権は生まれながらに有するものであるということを理解していません。

>差別や偏見は持たないし、あなた方の性嗜好は尊重します。
>なので、ノンケの僕の性嗜好も尊重して、告白してこないでほしいです。

   「自分は、偏見は持たない」というのはよく聞きます。
   しかし、偏見は自身で気づかないから偏見なのです。
   この発言者も、そうした人の一人でしょう。
   まず同性愛は前述のとおり『性嗜好』ではありません。
   そして、ノンケ=異性愛も『性嗜好』ではありません。

   さらに、「告白してこないで」と言っていますが、
   相手がゲイかそうでないかなんて、わかりません。
   また、尊重の意味をも取り違えています。
   告白されたら、断ればいいだけのことです。

とりあえず、こんなところでしょうか。
いやあ、それにしてもめんどくさい。
早いうちに、こんな説明をしなくてもいいような社会に
なってほしいものです。

瑠帷の話にお付き合いいただき、ありがとうございます。
先日の記事の転載元ブログも、どうぞご覧くださーい。