京都黒谷の紫雲石
京都バスに乗り百万遍手前の、東山東一条で降りると、京都大学のキャンパスが取り囲んでいるが、更に東に進むと吉田神社境内に入る。更にさほど高くはない吉田山頂上に登ると、吉田山公園に三高寮歌の碑が立っている。
紅もゆる丘の花
さ緑匂う岸の色
都の花にうそぶけば
月こそかかれ吉田山
人口に膾炙された第三高等学校の寮歌で、戦前帽子は破いて油を塗り、学生服で黒マントに下駄ばき、汚い手拭いを腰にぶら下げて、寮歌を歌って都大路を闊歩する。所謂バンカラの気風が苦学生のシンボルとされ、都人から愛された。懐かしき良き時代であった。
吉田山を降りると真如堂に着く。真如は悟りのこと、阿弥陀仏が本尊で、都の紅葉の名所でもある。この境内を南の奥に進み、会津墓地を過ぎると、西雲院の紫雲石の堂に着く。
法然上人が比叡山を降りて、この地の石に休んでおられると、西の雲に紫の瑞雲がたなびいたといわれ、その石は祠を造って大事に保存されている。
その昔、秀吉の朝鮮征伐の折、捕虜となって連れてこられた一人の朝鮮人は、「陰茎小」であっため、召使いとして秀吉の正妻北政所-きたのまんどころーに献上され、後に羽柴下総守に下げられて娘の召使にされた。ところがこの男はまめまめしく娘に仕えていたが、娘は17歳の若さで他界し、この山の下の黒谷に葬られた。男は無常を感じ、出家して各地を修行、のち帰って黒谷の娘の墓前でひたすら南無阿弥陀仏を唱え続けた。その態度に感激した黒谷の和尚は、法然上人の紫雲石の管理を任され、西雲院が出来た。男は宗厳と名乗り、朝鮮人にも慕われて、黒谷には彼らの墓も多いという。
この紫雲石のある山頂から下の黒谷には墓石が蝟集している。見事な風景である。その墓の中を降ると金戒光明寺に着く。お堂に上がって御仏を拝むと心が落ち着く。京の隠れた散歩道である。
三高寮歌 紅もゆる・・碑
法然遺跡・紫雲石の堂 西雲院
















