ほどこし
「大きな町に近い、広い道路を、病みほうけた老人がひとりあるいてゆく。彼はひと足ご
とによろめく。やせ細った足は、つまずきながらもつれ、まるで他人の足のように力なく
重たげに引きずられている。身にまとう服はぼろぼろ。むき出しの頭は胸もとに落ちたま
ま、すでに力つきたようす。
老人は道端の石に腰を下ろし、前かがみになって肘にひざを乗せ、両手で顔をおおっ
た。曲がった指のあいだから、乾いた白い土ぼこりの上に涙が落ち始める。
彼は昔を思う・・・・。昔はどんなに丈夫で裕福だったことかと。その富を敵味方の見さか
いもなくふるまったことを。・・・いまはひと切りのパンもない。友はあざける。
見知らぬ人が通りかかり、「君も世間の慈悲ぶかい人たちに、ほどこしを受けたまえ」と
言って立ち去った。
通行人が一人現れた。が冷ややかに顔を向けただけだった。けれどその後ろから、もう
ひとりの男が来た。――この男は老人にわずかばかりのほどこしを与えた。
老人はその小銭でパンを買った。――その一切れのパンは不思議に甘かった。――恥
ずかしさが胸をしめつけるどころか、静かな喜びが涌いてきた」
ツルゲーネフ『散文詩』の中から
「実際、身をもちくずして来た老人の、成れのはてを見るほど、ものあわれなものがまたあ
ろうか。それが女であればなおさらのこと。気品はさらになくなって、もう誰も目につけて
くれるものもない。自分がよこしまな道を踏んできたことは棚に上げて、ただ世渡りが
下手で、むだに金を使って来たことばかりを、いつまでもくよくよしているのは、世にも哀れ
をとどめるもののひとつである」
デュマ・フィス『椿姫』から
日本でも中世から戦前まで乞食がどの村でも見られた。昔大阪では四天王寺で参詣者に施しを受けるために群がっていた。戦後は大阪釜ヶ崎のアイリン地区や、住吉区の公園や各地の橋の下に青いテントの仮設住居が見られた。
人生は生存競争の場であることを教わらずに、わがままいっぱいに、己の欲望に金を使い過ぎた者の辿る道であった。
それが今日、政府の福祉対策により、乞食は無くなった。有り難い世の中である。







