閑話休題 -31ページ目

尊敬する女人―辰巳芳子

 大正13年生れで、93歳。大変な御歳である。聖心女学院を卒業し、母に見習い、教えられて家事と料理を学び、家族を支える。

 私はNHKの番組[おいしさを待ちわびて」という放送があって、初めてこの方を知った。

 

 昔の旧制女学校や男子高等学校は良かった。最近のような若い感性に媚びるのをカッコよしとする風潮とは違い、18歳から20歳の人間の最成長期を、哲学や宗教を真剣に学び、その後の人間の幅と基礎作りに貢献し、将来に夢を抱かせれる力強さがある。いずれも戦争に巻き込まれ苦労をしたが振り返れば充実した青春であった。

 

 そのような環境で学ばれ、以来家庭生活、特に日常の食事には、野山の旬のものを巧みに料理され、のちにフランス・イタリアスペイン料理にも精通され、家庭料理の大先生となられ、鎌倉の森の自宅には、料理を学ぶ家庭婦人たちが通っている。

 この人には品格と知性がある。今テレビの料理番組とは格が違う。特に年寄りの栄養を目指したスープは絶品だと言われている。庭の梅の実を漬けたり、庭の旬の野菜を食膳に出したり、とにかく日本の四季の食材の「おいしさを待ちわびる」日々。だから心豊かに長生きされているのであろう。こんな方を妻に持ち、母に持ったら、家庭は幸せなことだろう。

 

    

 

 

 

 

 

20年振りのゴルフ場見学

  秋晴れの一日、30年前に、私が高級ゴルフ場を手掛けたゴルフ場の見学に訪れた。

このゴルフ場は阪神タイガースのゴルフ場として始められた。立地や地形もよく、そのゴルフ場の設計計画により、地権者200人に及ぶ約40万坪の土地買収や賃貸契約の折衝、また地方と中央官庁への申請の陳情・折衝、水利権者との折衝の外部活動のほか、周辺部落との夜遅くまでの会合と飲食、動き出したゴルフ場造成工事の現場廻りや、植樹の指示、気品あり高級感あるクラブハウス造りに、何と10年たっぷりかかった。若い年ごろだったから、体力やストレスも克服出来たもので、今懐古するとよくでかしたなあと懐かしい。

 このゴルフ場は阪神から阪急、いまはゴルフ場を統括している会社のものになっている。それは時世のやむを得ぬこととして、私が手掛けたゴルフ場が今どうなっているか、一度見学したいと申し出た。幸い開業当時採用した人たちが残っていて、最終プレイヤーの後から、カートで全ホールを回ってもらった。もう二十年も経って樹木も大きくなり、芝の手入れがコースはもとより、コース外の隅々まで

行き届いていて、メンテナンスに携わってくれた人たちの努力に感激した。人工物も今や木々で隠され、全コース緑の大自然に取り囲まれて、素晴らしいゴルフ場に成長していた。作業員らに「関西一のゴルフ場の名に恥じない」と頭を下げた。

 もうとてもゴルフが出来る体力がないが、午後の数時間、私が手掛けたゴルフ場の見学は、私の人生最後の強烈な記憶にとして刻まれた。

松本徹 『袈裟の首』

 いや凄い本である。今京都駅前や京都御所、石山寺を歩いていると、途端に中世の物語が出て来てそれに引き込まれる。現実と王朝の物語が交錯し、それが不思議にロマンの世界に誘う。『源氏物語』『今昔物語』『奥の細道』『謡曲』などのフレーズが、筆者の散歩の間に飛び出して、不思議な迷宮世界に導かれ呪縛される。

 筆者は近畿大学の文学の教授で、この本は日本古典の世界を題材に、随筆・紀行を巧みに組み合わせた小説である。どうしてこのような幻想的な文章が出来るのだろうか。今まで読んだ明治以降の文豪の文章も、この人には及ばない。私も古典を主題にした文章を書いてみたいと思うが、この松本徹の文章を読むと、とても手が出ない。

 

 それにしても中世の物語文学は面白い。その筆頭が『源氏物語』であろう、紫式部の奔放な空想力に驚かせるが、そのそれぞれの登場人物に個性があり、一人一人が今でも実在する男や女たちに似ていて、1000年前と現在との時間差がない。

 『源氏物語」の最後、「宇治十帖」の浮舟ら三人のロマンの跡を、はるばる仙台から訪ねて来た美しい上品な中年の女性。石山寺で紫式部を回想する老若三人の女性たち。筆者は「源氏物語」を慕う現在の女たちに目を注いでいる。日本文学の古典的教養をもつ女性は素晴らしいと、作者はこの文章ににじませている。

 

 

国産松茸と大和牛のすき焼き食べ放題 90分

 今日は9月1日。今まで肌に汗がにじみ出ていた暑い夏も遠ざかって、そよそよと秋風が立つようになりました。夜には庭で秋虫の鳴き声が聞こえ出しました。皆さんもほっとされていると思います

 

   馬追虫―うまおいーの鬚にそよろと来る秋は まなこを閉じて想い見るべし    長塚節

   

   はや9月越中おはらの「風の盆」 粋な踊りに酔ひし思い出

 

 数か月後に迎える冬、それまでの秋の季節は、紅葉狩りなどの行楽に、秋の実りの食べ物に、豊かな季節を、それなりに楽しみたいですね。

 

 大和の奥の辺境に建てられたホテルから、掲題のようなチラシが送られてきました。この間スーパーで中国産松茸を買いましたが、形だけは松茸でも、松茸の匂いもしません。やはり松茸は国産に限ります。と言っても高いですね。そう手を出せるものではありません。

 そこにこのチラシ。値段は日帰りで18,000前後。一度国産まった::けを腹一杯食べたいと思うのですが、車がないと遠くて出かけられません。運転免許証を返上した身にとっては、我慢するしかないようです。それにしても、国産松茸と、はも、鶏肉、百合根、銀杏、三つ葉を入れた土瓶蒸しを食べたいですね。

季節の変わり目ー秋の始まり

 昨夜、いつものように10時過ぎに就寝したが、今朝2時30分頃目が゜醒めて眠れない。やむを得ず起き出して、薄い夏パャジャマから浴衣に着替えて、1時間ほど酒を温め、パソコンに向かい、眠気を取り戻そうとした。しかし眠れずに朝まで意識が残ってしまった。私には時々にあることだが、特に季節の変わり目の体調に変化を自分でも実感するのだ。

 

 今朝産経新聞の朝刊を見ると、今日8月28日は、旧暦では「天地始粛」-てんちはじめてしじむーとあり、暑さがようやく衰え、少しずつ秋を感じると出ていた。即ち季節の変わり目であった。

 キリスト教では「天に居ます父なるカミ」と説く。だが元はユダヤ民族の父なる神が、キリスト教に採り入れられて、イエス・キリストと聖霊の三位一体となる。だが創世記に出て来る天地創造や、土から人間が造られたとは、誰も信じない。

 

 それよりも科学進歩した現在でも、目に見えないある力、大宇宙を統べるパワーに驚く。四季の変化、海水の満潮と干潮、人間の生命にかかわる出産とか死。いずれもこの大宇宙を支配する天の力に支配されている。若死にする人も、百歳まで生きる人も、本人の希望や努力を越えて、すべて天命の致すところと達観せざるを得ない。それ以上の説明が出来ないからである。

 私も睡眠不足だけで無事今日を乗り越えられたが、次の節目は必ず12月初旬の冬の始めに来る。春の季節の変わり目もしんどい。こんなことを気にするようになったのも、歳のせいだろうか。

 

 

美味礼賛

 この夏は、各地からおいしい食べ物が届けられて、嬉しいこと感謝です。

 一つは北海道の「北の菜の花米」というお米です。一粒一粒が光っていて、北海道は食材でも、米からカニ・イカ、肉など、全国に勝る食材の宝庫であることを、改めて認識しました。

 

 二つは宮崎の「百年の孤独」という焼酎です。なかなか手に入らず、一般の焼酎の八倍ものプレミャムの付く、天下一品の焼酎です。お湯割りが最高ですが、もったいないので一口づつ舌で味わうように

して飲んでいます。「その清純なること二八(十六歳)の如く、その芳醇なること二十歳の処女の如し」と絶賛しつつ、ちびりちびり味わっています。空になる前に、5割のお湯割りを楽しみたいと思っています。丁度厳寒の頃になるでしょうから。 

 

 三つめは奈良の山崎屋の奈良漬です。今まで百貨店や伊丹の白雪などで買った奈良漬とは、別格

のような絶品の味わいです。その漆黒の色合い、その熟成された丸ろやかな味わい。一口噛んでそのうまさにほれぼれしています。

 送っていただいた3人に厚くお礼申し上げます。今までに出会わなかった味に乾杯!。

四国石鎚山ーサンカ

 変な取り合わせだが、次第は次の通りである。

 

 予てから近畿最高峰の石鎚山に登りたかった。昔元気な時私は四国に渡り、まず剣山1955mを目指した。今はケーブルで山頂近くまで登れる。北アルプスの剣岳のような険しさがなく、山はなだらかな高原状で剣山の名に違和感を覚えたのを覚えている。

 

 続いて愛媛の石鎚山1982mを目指した。長年信奉されてきた修験道の聖地である。今はバスを乗り継いで、ロープウェイで成就社に着き登り始める。アルプスのような険しい岩登りも少しで、やがで山頂の石鎚山神社に着く。だが目の前には尖った三角形の天狗岳が現れる。その険しさに魅せられて岳の頂上まで登った。眼下は四国の山々のオンパレード。下りは元来た神社に戻らず、南の面河おもごう渓谷に降りた。いや素晴らしい!。その幽邃な景観に圧倒された時の印象は強烈で、私はしばしの休息を楽しんだ。こんな山奥でなかったら観光客の入り乱れて俗境になっていただろう。この幽邃な大自然。四国の辺境でよかった!。

 

 実はこの景色を見て、私はその昔山地で暮らしていサンカのことを思い出した。いつか見たサンカの映画は、隣の四万十川上流山地をロケ地に、山で暮らすサンカの日常を描いたものであった。

 かれらは里の生活から逃げ出し、あるいは追い出された疎外の民で、山地を移住し獣・山菜・川魚・ドングリを常食し、副業に竹細工の篭や箒を作り、里に出て米と交換していた。特に明治以来、兵役を逃れるためサンカに加わる農民もあった。サンカの生活を詳しく書かれた三角寛の記録は貴重で、私は何度も彼の著作を読んだ。ところが戦争が厳しくなり、米の配給制度が始まると、彼らは米の配給切符を貰うために、山を降り役場に住民登録を提出、里の山間部の住民になった。このため一部山間地は国勢調査で人口が急増したとも伝える。戦後は都会などに入り込んだ為、サンカは無くなっが、今でも東北の白神山地では、サンカの後裔と称する猟師が残っている。

 四万十川上流山地のサンカの生活映画から、ついこの面河渓谷でサンカを思い出した次第である。

 

  

                  石鎚山遠望                        天狗岳

 

                面河渓の一部

 

お赤飯

 昔はお赤飯はご馳走であった。誕生日・入学式・祝日など、ハレの日の御祝い事に欠かせられない食べ物であった。小学生のころ、今日は赤飯だというと、遊びを止めて走って帰って来たのを思い出す。赤飯は噛めば噛むほどあずきともち米の味が出て来る。美味しい。

 

 私は一人で京都散策をする時、四条河原町の百貨店で弁当を買うが、ちまちましていて気取った高い京弁当は好まず、赤飯とコップ酒を買い、昼時、寺の片隅で赤飯をあてに、一杯やって京の風光を愛でることにしていた。持ち運びにも手軽で、酒に赤飯が合っておいしいのだ。

 

 日本のコメは紀元前5世紀ごろに、まずもち米の陸島の赤米がもたらされた。始めは南九州の焼畑から始まった。一定の山の斜面を焼いて、その灰を肥料に四年間にわたって、蕎麦・稗・赤米・小豆・大豆を巻き、食料にした。日本の古代、焼畑農耕を軽視しては古代人の実態に迫れない。明治の初期までは、日本の山間部は十萬町歩を上回る焼畑が、人々の暮らしを支えて来た。赤米も各地に作られていた。今に遺る美しい原日本風景の棚田は焼畑の水田化したものであり、中部地方や八ヶ岳山麓の白樺林も昔の焼畑の残影である。南紀熊野でも大規模な焼畑が行われていたが、明治になって政府の命令で檜・杉の植林に変更させられたものである。

 

 このアズキと赤米の組み合わせが、ソバと同様日本人のDNAに生き続けた。ご先祖の日かハレの日には赤飯を焚くのを、大人や子供たちが楽しみにしていた。日本人の先祖返りだ。歳をとって家で蒸すのも大変で、これから近くの百貨店に買いに行こうと思っている。夕食が楽しみだ。

 

 

 

日本一の湯治場 山口の俵山温泉

 火山国の日本には無数の温泉がある。私はかなりの温泉に入浴したが、その湯の効能について、随一に挙げたいのは、山口の俵山温泉であろう。今までに3回通った。

 最初、旅館に入ると、昼間なのにもう人数分の蒲団が敷いてある。おかしな旅館だと思っていたら、

とにかく外湯に入って来いという。荷物を置いて3つある外湯の1つに向かった。ほかの温泉と変わることもない、無色透明の湯で、湯加減も普通。2回浸かった後、宿に帰ったが、友ら三人ともすぐ床に伏せって、誰も口を利かず寝入ってしまった。湯の効用が一回の入浴で聞いたのである。

 

 初回、2日までは一日入浴1回に限ると書かれていた。確かに1回入っただけで、2度と入る気がしないほど、体全体の疲れが取れてしまう。今まで経験したことのないお湯である。

 厚生省認定全国第一の湯治場といわれ、特にリュウマチには効能絶大である。温泉の壁に感謝の張り紙が張ってある。大半はアメリカに入植し、一時病気治癒に帰国した人たちが、この温泉で全快

した感謝とお礼の書き込みであった。

 

 下関からバスで数時間、近くに有名な大洋漁業の川棚ゴルフ場があって、行商に来る魚屋の魚も、仙崎港で取れる新鮮な魚である。

 いつか私は足が弱ったら、自炊宿で長逗留して治療したいと思っているが、いまだ果たせないでいる。とにかく、私が全国数多くの名湯に出掛けたが、この俵山温泉は効能抜群である。

 

   

 

 

 

 

山の温泉 九州久住山 法華院温泉

 阿蘇・久住の温泉群の1つだが、車では行けない山の湯で、登山者には恵みの秘湯である。

 久住山1786mには、10程の登山口があり、その中で阿蘇やまなみハイウェイに、車が置けるの長者原と牧ノ戸峠が一般的である。

 私は春・夏・秋・冬と何回も登った。長者原からは橋を渡り、灌木の樹間を抜けて、小さなツル(水路)に沿って比較的なだらかな坂道を登って行くと、草原の「坊がつる」に着く。その前方に九州最高地の

法華院温泉山荘1303mが見える。黄色い湯が横長の湯船に溢れ、人々は山歩きの後の温泉に疲れを癒し、長々と湯iに浸かって楽しんでいる。

 翌朝宿を出て、南のすがもり峠から、北千里ヶ浜を経て、九州最高峰の久住山に登る。南に阿蘇山に向かって、樹木のない,広々とした久住高原が続き、馬の放牧も見える。

 

  久住高原すすきに暮れて 馬もいななく草千里

 

 ある高名な福岡の社長が、宴会ではこの久住高原の馬子唄風の民謡をいつも唄っておられた。

 

 帰途は沓掛山1503mを経て牧ノ戸峠に出て、車のある長者原まで歩いた。

 そのほか南の赤川温泉に泊まり、宿から久住山を目指して登ったが、登山途中後ろを振り返ると、

久住高原が視界一杯に広がり、天空へと登ってゆく山道であった。帰途は西の扇ケ鼻まで出て、そこから今度は赤川温泉に降りる。これも眼下に久住高原を見下ろして降るのだが、天下一品の下山道ながら、すぺったりすると垂直に落ちていく、気の置けない、きつい下山であった。