お赤飯 | 閑話休題

お赤飯

 昔はお赤飯はご馳走であった。誕生日・入学式・祝日など、ハレの日の御祝い事に欠かせられない食べ物であった。小学生のころ、今日は赤飯だというと、遊びを止めて走って帰って来たのを思い出す。赤飯は噛めば噛むほどあずきともち米の味が出て来る。美味しい。

 

 私は一人で京都散策をする時、四条河原町の百貨店で弁当を買うが、ちまちましていて気取った高い京弁当は好まず、赤飯とコップ酒を買い、昼時、寺の片隅で赤飯をあてに、一杯やって京の風光を愛でることにしていた。持ち運びにも手軽で、酒に赤飯が合っておいしいのだ。

 

 日本のコメは紀元前5世紀ごろに、まずもち米の陸島の赤米がもたらされた。始めは南九州の焼畑から始まった。一定の山の斜面を焼いて、その灰を肥料に四年間にわたって、蕎麦・稗・赤米・小豆・大豆を巻き、食料にした。日本の古代、焼畑農耕を軽視しては古代人の実態に迫れない。明治の初期までは、日本の山間部は十萬町歩を上回る焼畑が、人々の暮らしを支えて来た。赤米も各地に作られていた。今に遺る美しい原日本風景の棚田は焼畑の水田化したものであり、中部地方や八ヶ岳山麓の白樺林も昔の焼畑の残影である。南紀熊野でも大規模な焼畑が行われていたが、明治になって政府の命令で檜・杉の植林に変更させられたものである。

 

 このアズキと赤米の組み合わせが、ソバと同様日本人のDNAに生き続けた。ご先祖の日かハレの日には赤飯を焚くのを、大人や子供たちが楽しみにしていた。日本人の先祖返りだ。歳をとって家で蒸すのも大変で、これから近くの百貨店に買いに行こうと思っている。夕食が楽しみだ。