私の愛した詩人 5 島崎藤村
春は来ぬ
春は来ぬ 春は来ぬ 春は来ぬ 春は来ぬ 春は来ぬ 春は来ぬ
初音やさしきうぐいすよ さむしくさむくことばなく 春をよせくる朝潮よ
こぞに別れをつげよかし まずしくくらくひかりなく 葦の枯葉を洗い去れ
谷間に残る白雪よ みにくくおもくちからなく 霞に酔へる雛鶴よ
葬りかくせ去歳の冬 かなしき冬よ行きねかし 若きあしたの空に飛べ
初恋
まだあげ初めし前髪の やさしく白き手をのべて 林檎畑の樹の下に
林檎のもとに見えしとき 林檎をわれにあたへしは おのづからなる細道は
前にさしたる花櫛の 薄紅の秋の実に 誰が踏みそめしかたみぞと
花ある君とおもいけり 人こひ初めしはじめなり 問ひたまふこそこひしけれ
狐のわざ
庭にかくるる子狐の 恋は狐にあらねども
人なき時に夜いでて 君は葡萄にあらねども
秋の葡萄の樹の影に 人しれずこそ忍びいで
しのびてぬすむつゆのふさ 君をぬすめる吾心
千曲川旅情の歌
小諸なる古城のほとり あたたかき光はあれど 暮れ行けば浅間も見えず
雲白く遊子悲しむ 野に満つる香りも知らず 歌かなし佐久の草笛
緑なすはこべは萌えず 浅くのみ春は霞みて 千曲川いざよふ波の
若草もしくによしなし 麦の色わずかに青し 岸近き宿にのぼりて
しろがねの衾の岡辺 旅人の群はいくつか 濁り酒濁れる飲みて
日に溶けて淡雪ながる 畠中の道を急ぎぬ 草枕しばし慰む
新しい新体詩で当時の青少年の詩心を誘った詩人、作家。この人の影響を受けた人は多く、今も彼の故郷木曽馬籠や、千曲川旅情の歌を慕って、信州小諸城に遊歩する人が多い。