津軽森林鉄道 第二次探索

第2回


探索日 2024.07.06

公開日 2024.10.23

所在地    青森県外ヶ浜町


コンクリ建造物、?

2024/7/6 10:05

軌道跡にたどり着いた私は前回謎のコンクリ建造物を発見した。

何だこれ?

なんだか水路に近い形状ではある物の水が続いているわけでもなくこの部分だけ中心に空洞の空いた不思議な形である。

写真よりも左側に少しこの建造物の続きがあるが、そんじょそこらにあるコンクリの壁とたいそう変わりないものと想像して頂ければわかるだろう。

結論から言うと津軽林鉄の関連遺跡である可能性が高い。

根拠はコンクリートの保存状態とこの先の広瀬川橋梁にある。

まずコンクリートはこの先で見たほかの津軽林鉄のコンクリート建造物と同等(むしろ古いまである)レベルの腐食具合である。

同じ場所でそれぞれ腐食具合が異なることはありえないため、林鉄があった時代からこの建造物はあったと考える。

もう一つの理由、広瀬川の橋梁は今回こそ探索ができなかったもののそこそこの規模を誇る鋼鉄製のガーター橋であった。

そんな橋の付随建造物だったのではないかという説だ。

しかし、あくまで説であるため確証はない。

これが何かわかる方はぜひコメントをお願いしたい。


私はこの“謎の建造物”を後にするのだった。


橋台と橋梁

10:14


現在地はJR津軽線瀬辺地駅付近である。

ここは山側からくる瀬辺地支線と本線が合流する地点であった。

そしてここで見つけたもの。それがこれだった。

ばりばり残っとるやないかーい。

こんなに普通に残ってるもんなの?笑

ちなみに奥の橋が架かっている方は現役のJR津軽線の路線である。

この辺はかなり津軽線と狭い幅で並走をしており、遺構もときに近寄りにくくなる。

線路際だと列車を止める可能性もあるので要注意。

何を思ったのか、橋台ドアップ写真である。

これだけ見せられてもなんだかわからないが、この探索時は遺構の発見による興奮で何を考えていたのか覚えていない。

金木側ではなかった近寄れる遺構に私は感無量であったのだろう。

気づけばここだけで50枚近くの写真(8割ボツ)と10分の滞在をするという異常行動に出てしまっていた。

普通に家もある地域なので不審者と思われたくない方は素早い探索をオススメする。

上から順に盛土の左側・右側である。

こう見ると左側よりも右側の保存状態が圧倒的に良好に見える。

粗いコンクリートセメントに小石を流し込んでかさましをする当時のよくある手法が用いられたものだった。

それに比べると橋台部分は頑丈な純正コンクリート製になっており、強度に違いがある。

多くの木材を運ぶ貯木場近辺では車体重量もかなり上昇するため、それなりの強度が必要になる。

木を取り出す山中の支線は木造橋が多いのに対し、本線や貯木場付近は鋼鉄製ガーター橋の割合が圧倒的に増える。

ドアップで見る橋脚。

1世紀前(廃線からは半世紀)のものとは思えないとてもきれいな状態で残っている。

この保存状態から私は次の地点での“勝ち”を確信していた。


次回、私が追い求めてきたものが!!!


つづく。



ちょっとだけ!もりひろの宣伝。


・かつて津軽には日本一の軌道があった。多くのオブローダーが愛すこの軌道の限りにもりひろが挑む。

・JR五能線には幻の駅があったことをご存知だろうか。たった数年で勤めを終えた駅には一体何があるのだろうか?

初のミニレポシリーズである。


・津軽森林鉄道のレポを読んだ方なら分かるだろう。
写真のみが残された謎多き馬車鉄道。
それは我々が想像しているよりも奥の深いものであった。