後編


探索日 2024.06.28

公開日 2024.08.21

所在地   青森県五所川原市


路盤のその先には

2024.06/28 12:50


前回私は湊架道橋という唯一の湊遺構を発見した。

しかし、それ以上の成果は得られず、くすぶった気持ちでこの先の探索を行っている。


少し進んだ場所での写真。ここにきて急に路盤が下がり始めた。

JR五能線は、前編でも述べた陸奥鉄道開業時からほとんどその姿を変えていない路線であり、線路の場所、しいては路盤の高さはほぼ当時と変わっていない。

これがこの探索ではカギとなりそうだ。


これが反対側である。この一帯が路盤が低くなっており、私が目指している場所が近づいてきた。


新たな情報

ここで私の友人であるR氏(私よりもはるかに鉄道に詳しい私の師匠である。)より、心強い情報提供をいただいた。

いまからその地点に行く。その地点はここから少し進んだところにあるようだ。

私の読みはどうやら当たっていたようだ。


これがその地点である。

私は国道339号線を北上してきたが、国道101号線と合流する場所がある。そこは101号の方が五能線の線路を乗り越えるために橋となり、合流地点で地上に降り立つというものである。

そしてこの橋こそ今回のキーワードであり“湊”の文字を冠した「湊大橋」である。

そしてさっきの写真はそんな湊大橋大橋の真下、線路際の場所である。


湊という地名は、どうやら今でも地名として残っており、現在いる地点はそんな五所川原市湊の端にあたる場所である。

青森県五所川原市湊(大字) - Yahoo!マップ


駅凝計地

さて、この地に来てみたが特筆してここだと言い切ることができる遺構はなかった。

しかし、私の中ではこの地が駅跡であるという確証があった。

立地関係から見るに、路盤が地面と同じ高さになっている場所はここ一帯だけであり、さらに北側へ行くと再び路盤が高くなる。

駅を設置するには比較的平坦な地形が必要となる。ここはその条件にぴったりとあてはまるのだ。

そして私が確証を持ったのは、なぜかこの地点だけコンクリート敷きになっており、過去に建物があった証拠となった。

奥には国鉄時代の境界杭が設置されていた。

この近辺が国鉄の時代から管理されていたことになる。

そして何よりの証拠となったのがこれである。


線路がまっすぐに引かれているのである。

一見なんてことないかもしれないが、駅があったと言われている地点で路盤が地平上にあり、駅の設置をしやすくするためのまっすぐな線路。

何もかもがそろっていた。

ただ、これはあくまで私の中での想定であり、確定ということができない。


結論として1世紀前の遺構は、やはり残ってはいなかった。

しかし、それらが残したと考えられる”名残”はしっかりと残っていた。

湊大橋から線路を眺めると確かに違和感を覚える。

線路が低く、まっすぐなのはここだけだった。

これが私の結論だ。

1940年にはまだこの湊大橋は存在しなかった。

そしてそこには、橋ではなく駅が存在していたのではないか。

設置当初から簡易的な駅として扱われていたため、さほど大きな駅ではなかった。

同じ境遇で誕生した中で唯一生き残った林崎駅が形としては津軽湊駅に近かったのかもしれない。

五能線・林崎駅-さいきの駅舎訪問


文献上でしか記録のない津軽湊駅は、この地に多くの名残を残していた。

その存在を今日まで覚えている人は、ごく一握りなのかもしれない。

いつか完全に記憶から消されてしまう前にこのレポに書き留めておく。


最後にこの駅跡を通過する五能線でお別れしたい。




完。



ちょっとだけ!もりひろの宣伝。


・かつて津軽には日本一の軌道があった。多くのオブローダーが愛すこの軌道の限りにもりひろが挑む。


・津軽森林鉄道のレポを読んだ方なら分かるだろう。
写真のみが残された謎多き馬車鉄道。