このあいだたまたま↑こんなことを書いていた自分の記事を見つけた。
そして↑の記事を書いた後、ふと、、、
私が自責のために使用している価値観って、親の価値観じゃない?
と、突然、降りてきた。
夕馬さんの↑こちらの記事ではないけれど
私が、今だに苦しんでいる、自分で作り上げたルールや価値観は、もしかしたら、親の価値観の刷り込みではないだろうか?
そして私が今現在、「期待に応えることに非常に敏感で過剰に反応して酷く疲れる」のは、長年の親の期待に応え続けているからではなかろうか?
その事を自分では全く自覚してないからじゃないかな?(自覚してないと言うのは、それが親からの刷り込みだと言う自覚)
もしからしたら、今までずっと書いてきた長年の懸案事項の「経済的自立を目指す」ことも、私の心から望む事ではなく、親の価値観と期待の刷り込みではないだろうか?
今の私は、本当はそんなことこれっぽっちも望んでない事はもう確信しているのです。
最近、その呪縛、経済的自立や専業主婦である事の負目とかから完全に解き放たれているのですが、それが親の価値観から来てるかもしれないことに今気づいた。
それならとても腑に落ちる。
どうして心にこれっぽっちもないことに、こんなに縛られているのだろうと思ってたから。
あまりにも頭が持ってくるこの価値観は、私にはナンセンス。センスのかけらもないし面白くもないし、なんなら私の良いところを潰すモノだなぁ〜と感じていたから。
それほど私の感覚に合ってない。
私の頭は、親の方を向いている。
ずっと親の方を向いて生きてきて。
未だにそれが染み付いている頭。
それが私の社会のルールとなり私を縛り私を責めるモノとなる。
けど、私の心からの望みとは絶対違うから、いつまで経っても対決する。疲れる。
しかしそれが小さな頃から伝えられてきた親やそのまた親などのずっと続く価値観だったなら、本当にそうなら、私とは本当に関係ないモノだからきっとこの呪縛から解放されるはずだ。
(実際今からそれを引っ剥がすのだけど)
はずだと書いたけど、、、
親の期待に応えない事は、考えただけで億劫。めんどくさそう。。。
そう思えば思うほど、憂鬱なので、、、
逆に、はっきりきっぱりこれが今回のパンドラの箱。
あーあ、でっかいなこりゃ。。。
と毎回その全貌が見えてきた時には一旦尻込みする☜絶賛イマココ
この恐怖までがワンセット。
そして乗り越える頃には、そんな大きな山でもなかったな〜とか思えることも毎回一緒だから知ってるのだけと。
それでも、、、それでも今は盛大に!
嫌だなぁ〜これ。
乗り越えないといけないのかなぁ〜
(と書いてみる)