ジャン・アンリ・ファーブルの「科学の不思議」を読み終えた。僕は’こころ座‘で、役者として何年も「昆虫記」のファーブルの役をやってきたが、ファーブルの「昆虫記」以外、の本を読んだのは初めてだ。迂闊だったと思う。この本は伊藤野枝の全集に載っているらしいが、今回電子書籍で読むことができた。「昆虫記」は確か全10巻で、何回も出版されているし、訳者は色々でそのいくつかは読んだ。中でも埼玉大学の奥本大三郎氏。亦僕の尊敬する画家の安野光雅さんの絵など~全集の初版は様々な人が訳している。その第一巻目は大杉 栄だ。僕は数十年前に馬場で初版本10巻を見つけて買ったことがある。その時は、僕の恩師でもある演出家に請われて譲った。大杉 栄は何度も入獄し、その中でファーブルの「昆虫記」を訳している。大杉 栄は獄に入る度に様々な語学を身につけると言っていたらしいが、その通り、数か国語をものにした。しかし彼が何故ファーブルの「昆虫記」に興味を持ち、訳そうと思ったのか、分からなかった。伊藤野枝は、関東大震災の折りに大杉 栄と息子と共に虐殺されている。指示をしたのは甘粕大尉だと言うが、真相は明らかにされていない。
僕は随分前、偶然、大杉 栄、伊藤野枝、その息子の
検死書の写しを古本屋で見つけたが、辛くて読めなかった。しかし今、伊藤野枝の「科学の不思議」を読み終えて、頭をひとつ、ガンと殴られた想いだ。ファーブルはフランスの勲章レジオン・ド・ヌールをもらっているが、彼は他の昆虫学者と違い“標本”ではなく、“生きている”虫を観察した。『物事には理由がある』ということを僕の生き方、物の考え方の芯にしてきたつもりだが、知らないことだらけだ。
レイチェル・カーソンが「センス・オブ・ワンダー」の中で伝えたかったことと繋がっていると思う。
是非ともファーブルの「科学の不思議」読んでもらいたいと思う。大人も子どもも。




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先日、山ノ内町の渋温泉で毎年恒例の組曲「黒姫物語」コンサートの語りをやって来た。
初演は12年前になるだろうか、信州中野の市民会館が満席になった。当時飯能に居られた田中 ゆきひとさん、野田 純子さんに信州中野に黒姫伝説があるので組曲として物語を造りたいとの話があり、語りは「日本むかし話」の常田富士男さんがやるということで私が脚本を書いた。初演以後は私が語りをやっているが、以来12年も続くことになろうとは想像できなかった。偏に田中さんの力によると思う。
初演の後に様々な所で上演してきたが、山ノ内町でやることになった時に語りの冒頭に大沼池の主(黒龍)の独白ともいうべきものを付け加えた。この間の災害(震災、津波、原発事故)を思うと、予言の様になった。その事はー書いた時に思いを馳せたことが現実に起こってしまったことに、嗚呼と心の内で声をあげてしまう。

冒頭の部分だけ引用する。

「黒姫物語」

作 杜江 良

プロローグ(M0ープロローグ、入って)

「語り 志賀の奥深くに棲まいする黒龍は、大沼池の水をゆっくりと持ち上げて、高原一体を流れる、緑を含んだ、やわらかな匂いを運ぶ風を感じていた。
 空はどこまても高く、深い広がりをもって、その碧(あお)を溶かしてゆく。
 たゆとう限りなき時の流れの中で、黒龍は、己の眼(まなこ)が森羅万象、あらゆるものを見据えてきたことを想っていた。

黒龍 『幾百、幾千の時節が巡ろうと、変わらぬものがあり、亦、うつろい易いものもある。変わるものと、変わらぬものの間を行き来して、おれは気まぐれに、人里に降りて、それを弄(もてあそ)ぶこともあった。
 人は恐れに因(よ)って、己の世界を成立(な)らせてきた。
 だが、時にはそれを忘れ、驕(おご)り高ぶることもある。それも亦面白い…
 久しく出ぬ、人里を見るも、亦、良いか…
 何やら、遠く誘う音(ね)も聞こえてくるわ。』

ー昔話ではないのだと思うー

少し長くなるかもしれないが、池袋の芸術劇場で「黒姫ー]を上演したあとに、田中さんから『北信ローカル』に記事を書いてくれと言われ書いた記事がある。これが、今も変わらぬ私の立ち方です。

2001年1月1日(月曜日)

北信ローカルの記事より

『今回の芸術劇場での公演で私が心掛けたことは、信州中野に伝わる伝説をどうオリジナリティを持った作品にするかということです。私は俳優として全国を巡ってきて、また多くの書物を通して様々な伝説や昔話に出合いました。もちろん各地のそれぞれのお話にはそれらが生まれる根拠があるのですが、登場する人、事物、そして現象こそ違え、ある種の共通点があることに気づきます。民族学者たちはそれを型として分類してきました。おおざっぱに言い換えれば、似通った話が各地にたくさんあるということです。そして物語は“形”が一人歩きをして、祭りとなり、行事として定着してきました。果たして物語はその中でしか生きられないのでしょうか。土地の風土、生活社会構造が変わって、伝説は消え去ったり、忘れ去られたりすることが確かにあるかも知れません。しかし、その物語の中に生きている人間たちに光をあててやれば、現代に生きている私たちとまた共有出来るものを見出だすことが出きるはずです。そしてその時に現代人の私たちが語り継ぐ、新たな黒姫伝説が生まれてくることと思います。
田中 ゆきひとさん、野田 純子さん、そして私たちの“
企み”は今回の芸術劇場公演の成果でその手応えを感じました。さらにこれを膨らませてオリジナルな「黒姫物語」を想像出来たらと思います。』


杜江 良

まだ々、
やるべきことがあるように思います。




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“ゆらぎ”


何かが揺らいでいる

船酔いのように

初めて波にうむ言をわせぬうねりを“感じた”時のように


揺らいでいる

波を波としてーどれ程の大波であろうとー

感ずることが出来たとき

船酔いのあの苦しみから解かれる


その時、男は漁師になる

漁師は

舳先を波に向けることがどんな大波をも乗りきることを知っている


ryo













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