先週末から、たくさんの日本人フラダンサーがハワイ入りしています! 500人~600人とか? 16年前に始まったイベント、JALフラ・ホオラウナ・アロハが現在進行中なのです。

フラ・ホオラウナ・アロハは日本人ダンサーがフラ発祥の地、ハワイでフラを披露し、地元のフラ人たちとの交流も楽しもう! という内容のイベント。今では地元の人達に「日本人ダンサーのメリーモナーク」などと称され、毎年、盛り上がっています。



金曜日にはロイヤルハワイアンセンター中庭でエキシビジョンがあり、多くの観光客が見惚れていました…。あるグループは、白人女性に「すごくゴージャスなあなた方の写真、撮らせてください」なんて声をかけられていましたヨ。

昨日はアラモアナセンターでエキシビジョンがあり、今日はこれから、ロイヤルハワイアンホテルで競技会があります。なんと41組ものエントリーがあり、大変盛り上がりそう!

…というわけで、私もこれから競技会取材に出かけてきま~す。さて、賞の行方はいかに!?


10月31日は言わずと知れたハロウィーンですね。ワイキキのロイヤルハワイアンセンター中庭にも、カボチャを模した素敵な提灯が飾られていました(上の写真)。

我が家はの子供たちは大学生になり、もうコスチュームにきゃあきゃあいう年ではなくなりましたが、ハロウィーンの飾りつけを見るのは、やはり楽しいもの。一応、我が家でもゴーストやカボチャくらい、飾っております。





下の写真のシンプルなカボチャは感謝祭用にも使いまわしできそうなので、11月下旬まで飾っておくことになりそう(笑)。



こんなささやかな雑貨たちに…季節の移り変わりを感じるホノルル暮らしでございます。


ハワイには…ソーセージの生る木があるのをご存知でしょうか? そのまんま、ソーセージツリーと呼ばれています。上の写真がそれ。

このソーセージ、グリルしてよし、ゆでてよし。本当に美味しくて…というのはもちろん、冗談です! 形態からソーセージと呼ばれていても肉々しいものではなく、木の実なんですけどね。

木の高さは4、5メートルはあるでしょうか。写真のようにたくさんのソーセージ? が、頭上にぶら下がっている感じなのです。ソーセージは一つ20センチ~30センチくらい。



私は長年、この実はヘチマみたいに中がスカスカで軽いのかと思っていました。ところが! 一昨日、アラモアナビーチに落ちている実を拾ってびっくり! 持ってみるとスッシリと思いのです。そうだったのか…。

あんな実が重いとは知らずに、木の下をしょっちゅう歩いていましたが、あれが落ちてきたら痛いでしょうね…。これからは椰子の木同様、避けて通らなければ!

…ところでこの実の写真を撮る場所を探して、ビーチを歩いていたら。ロコの男性に遠くから呼び止められました。なぜか怒られる~と思ったのですが、「ヘ~イ! それはジャガイモじゃないよ、食べられないよ」ですって! 確かにそれくらい、どっしりガッシリした実でした。

それに対して「は~い、ジャガイモじゃなくてソーセージでしょう!?」と私が返したのは、言うまでもアリマセン。


ポリネシア人類学の世界的権威、篠遠喜彦博士が10月4日に亡くなりました。享年93歳でした。心からお悔やみ申し上げます。

篠遠博士は日本人ながら、ポリネシア文化の殿堂、ビショップ博物館所属の学者として半世紀以上にもわたりポリネシアの人類学、考古学を究めた方です。特にタヒチ・フアヒネ島やマルケサス島の発掘で知られ、ポリネシアで一番有名な日本人だったと言えるでしょう。

なんたってタヒチには篠遠博士を讃える人気ソングまでありますし、タヒチ政府は2000年、篠遠博士に騎士の称号&勲章も授与しています。あ、もちろん! 日本政府からも1995年に勲章を授けられていますよ。



この写真は4年前のものですが、篠遠博士のセミナーを受けた際に撮影しました。あの時、博士は89歳だったんですね…。とてもお元気で、セミナー内容もそれはディープで…そんなお年だったとは信じられません。著書「楽園考古学」にサインをいただきましたが、今では宝物になっています。

実は以前、このブログに博士のことを書いたと思うのですが見つからず…。10年前、以前のブログに書いた原稿をここに貼り付けますね。ずいぶん長いですが…。読んでいだけたら嬉しいです!

以下、どうぞ!(冒頭の写真は、今朝見たレインボーです。うっすりダブルレインボーなのがわかりますか?)

皆さんは篠遠喜彦博士(シノトウ・ヨシヒコ博士)をご存知でしょうか? 篠遠先生は東京出身者ですが、1954年にハワイ移住。ポリネシア研究の殿堂であるビショップ博物館所属の学者として、実に50年以上もポリネシアの研究に携わってきた、ポリネシア考古学の世界的権威なのです。

「ハワイアンのルーツを探る」という研究テーマにのっとり、篠遠博士の研究エリアはハワイというより、ソサエティ諸島やマルケサス、イースター島などなどが中心。熱帯の気候の中では歴史的遺物など残らない、従ってポリネシアには考古学という学問が成り立たないと思われていたポリネシアの島々で、実に多くの遺跡や遺物を発掘した篠遠博士。神殿跡や大型カヌーなども含めて、です。

それが各島の歴史やポリネシア民族移動の軌跡を知るのに役立ったのはもちろん、島の人々が、自分の土地に誇りを抱くきっかけにもなり…。加えて貴重な遺跡の保存運動にもつながったりと、ポリネシアに対する篠遠先生の功績の大きさは、計りしれません。

ハワイが誇る篠遠博士は、もちろん日本の誇りでもありますネ。日本でも上の写真のような著書「楽園考古学」(平凡社。荒俣宏との対談集)などを発表しているので、多くの方々が篠遠博士の名前を知ってらっしゃるのでは?

私も以前、篠遠先生にインタビューしたことがありますが…。堅苦しいところは微塵もない、目の輝きが印象的な先生でした。80歳を越えた今でも、毎夏タヒチ・フアヒネ島の発掘に出かけている篠遠博士。日本語、英語だけでなくタヒチ語も話すので、現地の人々のハートもガッチリつかんでいるよう。ポリネシアの島々で一番有名な日本人が、まぎれもなく篠遠博士、と言えるでしょう!

前書きが長くなりましたが、先日、この篠遠先生を記念して、「サー・ヨシヒコ・シノトウ」と名づけられた新種のハイビスカスが誕生したそうです! 過去7000種ものハイビスカスの交配に成功したハワイ在住のジル・コリエルさんが作り上げた青と赤の花だそうで、ジルさんと篠遠博士が一緒に、ビショップ博物館に植樹するセレモニーが行われたばかり。私はまだこのハイビスカスを見ていないのですが、美しいハイビスカスに自分の名が付けられるなんて…嬉しいでしょうね! 誰かアンセリウムに、私の名前を付けてくれないかな~。

篠遠先生にとっての名誉は、もちろんこれが初めてではなく。なんと! タヒチには、「タオテ・シノト」という流行歌まであります。昔、人気歌手によってレコードにもなったので、パレードで使われるような有名な唄なのですって。さらにマルケサスにも、「ウェルカム・シノト」という唄があるとか! …ポリネシアの人々の篠遠博士に寄せる想いが、ヒシヒシと伝わってきますね~。

おまけに2000年には、篠遠博士はフランス領ポリネシア政府から、騎士の称号まで授与されています。そう。篠遠博士は、タヒチの貴族でもあるわけですね! この授賞式にタヒチに赴いたときは、「タヒチだから、正装で出席するならマロ(ふんどし)になるか? なんて考えちゃいましたよ。アハハ」と、冗談を言っていた篠遠博士。帰国後、ビショップ博物館に出勤すると、女性スタッフが「騎士、篠遠博士~」と皆、深くお辞儀して迎えてくれた、ともおっしゃってました。

私もポリネシア、ハワイの事柄を勉強するのが好きですけれど、篠遠先生の足元には、数百キロも及びません。どうか末永く、現役で活躍していただきたいと思います。






10月も半ばというのに、まだまだ暑いハワイ。そろそろ…朝晩がヒンヤリしてきてもいい頃ですが。

さてワイキキのシェラトンワイキキでは、通年を通じてロビーに見事な砂のアート作品が飾られていますが、先週見たものは普段にも増して見事でした!

冒頭の作品は、ハワイ島にある聖地、プウホヌア・オ・ホオナウナウにあるティキ像ですね。プウホヌアというのは、そこに逃げ込めば罪人も敗残兵も処分を免れたという神聖な地のこと。ハワイ各地に存在しました。

うちホオナウナウの地にあるプウホヌアの海辺には再現されたヘイアウ(神殿)があり、その前にこれらのティキ像が鎮座しています。

あ、今日は歴史ではなくサンドアートの話を書いているのに、蘊蓄が長くなりました。失礼!

とにかく、2つのティキ像もハワイ島で実際に見てきた本物そっくりなら、以下の王族男性の作品も見事ですよね~。このたくましい男性が砂でできているなんて驚きです。



作者の名前は知らないのですが、私が日本の夏のビーチフェスティバルの企画を担当していたら。絶対に彼を日本に招きたいですねえ。で、札幌の雪祭りのように、湘南とかのビーチをハワイ風のサンドアートで飾ってもらいたい!

日本にもサンドアートの名手がいるとは思いますが、ハワイから招いたアーティストにフラダンサーやティキ像、メネフネなど作ってもらうというのも、かな~り素敵なアイディアだと思うのですが、いかがでしょうか?
何だか食べ物の話題ばかりでゴメンナサイ。今、ひと仕事終わった気分で、開放感に浸っておりまして…。

今日はワイキキの優雅な白亜のホテル、モアナサーフライダーにて、素晴らしいアフタヌーンティーを御馳走になりました。先月が誕生日だったので、親しい友人がご招待してくださったのです。しかも、素敵なギフトの数々まで…。Yさん、MAHALO! と~っても贅沢なひと時を過ごすことができました。

フィンガーフードの一つ一つが、見目麗しいでしょう?







…ハワイ在住の私達にとっても、やっぱりワイキキは特別な場所です。良い空気というか…楽園の空気が流れていますネ。

ホテルに泊らずして、まるで豪華なバケーションを楽しんだかのような1日でした。持つべきものは…友人です!


最近、超、超! はまっているのが、ワイキキに登場した伊藤園の甘味屋さんです。

ワイキキのインターナショナル・マーケットプレース2階に、日系スーパーのミツワがオープンしたのはいつだったでしょうか。この夏? この春?

とにかく、そこにイートインのスペースがあり、なかなかくつろげるのですが、一角に伊藤園の甘味屋さんもあって、これが美味しい! 抹茶味はもちろん、ほうじ茶、黒ごま風味のソフトクリームや、それぞれのシェイクが楽しめるのです~。

先日は、ほうじ茶風味のSカップ、今日は、迷いに迷って3フレーバー入りワッフルなんたら…を選びました。楽園のお味でした。これで$6ちょっとなんて、信じられない! 下のSカップ入りは$4.50くらいでした。



アメリカでも抹茶スイーツが人気ですが、ここ数年、ハワイでも和スイーツの店が充実し、こんなに嬉しいことはありません(大袈裟?)。

しかも聞いたところによると、ソフトクリーム機ってものすごく高く、ハワイでは$7000くらいするとか。あ、それは1種類のフレーバーだけニョロニョロと出てくる機械の場合です。もしそれが2つのフレーバーの機械なら2倍、3つのフレーバーなら3倍の値段だそう。

伊藤園には確かマカデミアナッツ味のソフトもあるので、その機械だけで300万近くかけているのですね…。きっとお家賃も高いと思うし。

あの味がワイキキで永遠に味わえるよう、今後も伊藤園にしょっちゅう通って、ビジネスを応援しなくちゃ! と思っています。皆さんも、ぜひ!


ハワイ王国7代目のカラカウア王といえば、メリーモナーク(陽気な王様)との異名で知られるハッピーな国王のはずですよね。

快活で社交的な人柄が世界からの賓客に愛され、いつしかカラカウアは、メリーモナークとのニックネームで呼ばれるようになりました。

毎春、ハワイ島ヒロで開かれるフラ競技会の最高峰はメリーモナークフェスティバルと呼ばれるのですが、ここでいうメリーモナークというのももちろん、カラカウア王のことです。

なぜなら。19世紀のハワイにおいて、フラなどハワイの伝統文化が宣教師たちによって迫害されていましたが、カラカウアは伝統文化、中でもフラの復興に尽力した王様だからです。

そうなんです! カラカウアの努力がなければ今頃、フラの伝統の多くが失われていたでしょうし、日本やカリフォルニア、メキシコを含む現在の世界的なフラブームも、きっとなかったことでしょう。

そのためフラ界のオリンピックは、カラカウアを記念して命名されているというわけです。

それなのに…。昨日の続きになりますが、陽気な王様だったはずのカラカウアが、実は暗殺計画によって追いつめられていたなんて! そして君主として、またハワイアンとしての誇りを放棄する「銃剣憲法」に署名させられていたなんて。なんとも胸が痛む歴史秘話ではありませんか?

ハワイ史上、悲劇の…という形容詞がつく君主はリリウオカラニ女王のことを指すことが多いと思うのですが、カラカウア王も然り。陽気な王様だっただけでなく、悲劇の王様とも形容できる、複雑な人生を送った君主でした。

皆さんはどう思いますか?

(冒頭の写真は、毎年メリーモナークフェスティバル会場に飾られているカラカウアの写真です)




リリウオカラニ女王、そしてカラカウア王について勉強中のこの頃…。勉強すればするほどショッキングな史実を発見し、困惑してしまいます。

たとえば、皆さんはハワイ王国の銃剣憲法って聞いたことがありますか?

1887年、ハワイ王国7代目の君主、カラカウアは武力での脅しによって新憲法草稿に署名させられ、ハワイ史上、悪名高い憲法が発足しました。

それは国王の権力を全て奪い取るような屈辱的な憲法で、たとえば参政権に収入制限を課したため、ほとんどのハワイアンが投票の権利を喪失。結果として白人の帰化市民がハワイ王国を牛耳るきっかけになった、呪われた憲法なのです。

それはカラカウアが武力の脅しによって受け入れたものだったので、ハワイでは銃剣憲法との名で知られています。

そして6年後の1993年。リリウオカラニ女王は銃剣憲法を是正する新憲法を成立させようとし、それがきっかけとなって革命が勃発。ハワイ王国が崩壊したという、いわくつきの憲法でもあります。

…この銃剣憲法について、長らく私は考えていました。「どうしてそんな草案に、カラカウアは署名してしまったんだろう。いくら脅されたからといって、国王なのに?」と思っていたんですね。

ところが、このところ真相を知って納得! 当時、本当に状況は逼迫していて、カラカウアが署名を拒否すれば暗殺→クーデターという青写真が、革命派の間では出来上がっていたほどでした。暗殺の実行役まで決まっていたのです。なのでカラカウアは事態の収拾を図るため、とりあえず新憲法を受け入れた…という事情なのでした。

折しもその時、妻のカピオラニ王妃と妹のリリウオカラニは、カラカウアの名代としてイギリスに滞在中。その隙間に、恐ろしい陰謀が練られていたのですね…。

…ハワイの歴史をしっかり知りたい! けれど知れば知るほど悲しい出来事にも突き当たり、当惑してしまうことがございます。

(とはいえ)ハワイを愛する皆さんにも、ハワイの真実を知っていただきたく。たまに悲しい話も書いてしまう私を、どうぞお許しください~。



またまたショッキングな事件が起きましたね…。ラスベガスの銃乱射で、59人が亡くなりました。

悲しいですね、銃社会のアメリカ。あまりに容易に銃が手に入ってしまい、こんな事件がしょっちゅう起こっています。でも銃携帯を容認する法律はすぐには変わらないでしょう。アメリカ開拓時代から続く、化石のような法律なのですが、ね。

うちのコンドミニアムでは、一応、銃を持つ世帯は届け出るようになっているようです。どこの誰がとは明かされませんが、我が家のフロアでは3世帯が銃保有者だそう。

先日の銃撃事件に加え、こんな時にアメリカと日本の差をつくづく感じます…。

今回の事件で亡くなった方々&ご家族に、謹んでお悔やみ申しあげるとともに、ケガを負った方のスピーディな回復も心からお祈りしています。

…今回の事件では500人以上が重軽傷を負ったということで、今ラスベガスでは病院の呼びかけに応えて、献血する方々が長蛇の列を作っているようです。

地獄で仏を見たというのは、こういうことでしょうか。この世が悪人だらけではなく素晴らしい善人もたくさんいることを信じて、明日も元気に生きていきましょうね!