ようやく掛川旅のメインイベント、東海道歩きの記録にたどりつく。

おじさんトレッキング倶楽部の春の巻

去年は熊野古道紀州路で 数年前までは中山道木曽路ばっかし。

出張で多忙なヤマ友とボランティア活動で予定表が埋まるジジイは、両者中間地点の静岡県の旧東海道を歩こうぜ...と相成り

桜の季節に 旧東海道 掛川宿~島田宿へ。

市街地エリアは外し スタート地点は掛川市八坂にある事任(ことのまま)八幡宮。

箱根峠・鈴鹿峠と共に東海道三大難所の一つ 佐夜(or 小夜)の中山(さよのなかやま)の手前に鎮座するので 昔から十六夜日記などの紀行文にも出てくるお宮さん。

坂上田村麻呂がここに遷座し、家康が本殿を 秀忠が中門を造営したと伝わる由緒正しい古社で 道中の安全祈願 パチパチ。

主祭神は 己等乃麻知比売命(ことのまちひめのみこと)...

春日大社の天児屋根命(あめのこやねのみこと)の母神さまやと。

歩き支度を整え、楠の巨木に...行ってきま~す。

弥生の晦日は晴天

ノルディックウォーキングスタイルでスタスタ行けば 宿場町定番の 高札場。

ここは日坂宿(にっさかしゅく)。

初夏のような陽気で 汗ばむほど。

史跡の説明板を読むのは いつものお作法やん。

大阪の陣で深手を負った武士の末裔ねえ~。

街道に面した家々には昔の屋号の板札が立てかけられており...

往時の賑わいが想像できる。

読めば...幕末には 幕府にも 維新時の官軍にも寄付や献金をしながら...

したたかに問屋役をやられてきたんやね~。

本陣跡

日坂バイパス(国道1号線)を潜るあたりからググイッと急坂で

往時は茶店があったらしい。

二の曲がりをハアハア言いながら登れば...沓掛の集落はずれに芭蕉の句碑。

芭蕉の野ざらし紀行より..

廿日餘の月かすかに見えて、山の根際いとくらきに、馬上に鞭をたれて、数里いまだに鶏鳴ならず。杜牧が早行の残夢 小夜の中山に至りて忽驚く(=目が覚めた)。

「馬に寝て 残夢月遠し茶のけぶり」

 

中国の詩人 杜牧の早行詩をパロっているようですよ。

てな具合に 小夜の中山を読んだ句碑や歌碑が次々と 茶畑脇に現れて

古代からの街道は 飽きさせませんね~。

茶畑縁には 水仙も...

菜の花も彩を添え...黄砂で霞む空に映える。

涼み松・妊婦の墓・馬頭観音・白山神社....確認しながらトコトコ。

彼方のお山には 茶の文字がぼんやり。

そして大松の集落(地図左下端)に入れば

建武2年(1335年)の 中先代の乱(なかせんだいのらん)の関連史跡。

入試で日本史を選択せなんだんで...よ~覚えとらんわ...で、すぐググる。

ヤマトタケルノミコトの時代より幾多の兵どもが往来した道を

ヤマザクラが絶えることなく見ていたと思えば...感慨深い。

いつの時代も戦ばかり。

佐夜鹿(さよしか)一里塚

Come on!と見える シデコブシの花が ちょいと妖艶。

散り始めの枝垂れ桜

小夜の中山公園入口にある西行歌碑の前で休憩。

西行 69歳時にこの地に来て若かりし日の峠越えを思い出して詠んだ歌

「年たけて また越ゆべしと おもひきや いのちなりけり さやの中山」

おっ、 小夜とか佐夜は 今は「さよ」のようやけど 昔は 「さや」やったのね。

桜舞い散るおやじの葬儀の際、喪主挨拶に西行の「ねかはくは 花のしたにて....」の有名な歌を引用したコト...ヤマ友と話ながら 今更ながら恥じ入るジジイ。

変なコト思い出したけど、両親ともに桜の頃に看取ったんで。

中山の峠では おばちゃんが懐かしい出で立ちで草刈り。

思わず 写真撮って良いですかと聞いてから カシャ。

峠の扇屋さんでは

名物 子育て飴も買って...

サービスでもらった茶飴なめなめ...街道をいく。

家康が山内一豊に命じて観音堂を建立し

一豊が家康をもてなす為に 境内に茶屋を設けたという九延寺(きゅうえんじ)。

行基が開基した古刹です。

元祖 夜泣石は 700mも離れた場所にあるらしいんですけどね...

なので これはレプリカ....まっエエかっ。

峠から一旦 間の宿 菊川へ下り...今度は石畳の菊川坂を上る。

振り返ってカシャ。

箱根以外にも石畳が復元されとるのが良いですね~。

歩きにくいけれど 往時の雰囲気が味わえる。

そして 諏訪原城跡前の東屋で 休憩。

東海道歩き...期待以上に エエやん。

歩きながら ヤマ友が 奈良井宿歩きのコトを話していたんで 付けときます。

 

《東海道歩きは続く》

 

だらだら歩きのどこがエエんにゃ~...と、寝起きのイブキ。