《彦根城 表御殿 木造棟の庭》

 

閏日に あの大谷翔平選手が結婚を公表したかと思えば...もう三月やん。

なんでも早すぎてかんわ。

ボーッとしとる間に 撮りだめていた写真もボツ用ファイルにズンズン。

そんな中から ちょいと気になっていた写真を拾って書いてます。

それは先週に訪れた彦根城の表御殿にあった一部屋のこと。

 

《内堀の表門橋と彦根城博物館》

八重の紅梅が香る表御殿の復元木造棟の坪ノ内を愛でながら静々...

赤◯で記した建屋に来てみれば

そこは 御亭(おちん)

藩主がゆっくりくつろぐ場所...と書いてありました。

Ochinねえ~...と、ニタリとした途端 思い出しました。

幼少の頃 家や親戚の仏壇の前で 祖母ちゃんや 叔父さん達から

「おっちんしやぁ~」と、よ~言われとったなあ。

【追記:一晩寝て記憶を辿りなおしたら...愛犬には「お座り」ではなく「おちゃん!」と言うとった人もおったわ。なので「おちゃんしやぁ~」やったかも。母方の祖母が一時期 亀山におったし、養子の大祖父一族が三重や大阪を転々とした人やったんでごっちゃ 】

連れ合いに 聞いたら 神戸では 「おっちん」も「おちん」も使わへんけど その言葉は知っとる...やて。

さっそく Weblio辞書で検索してみれば...

全国大阪弁普及協会編纂の大阪弁として載ってましたよ。

おっちん:

正座。座ること。

すましてきちんと手を膝の上に置いて座る意味の

「ちゃんとすわる」「ちんとすわる」に丁寧な「お」が付いて名詞化した幼児語。

もともと京都や丹波、若狭、近江湖西で使われていた言葉が大阪弁となり

おっちんしとき。

播磨では「ちんとん」

越前では「おちょきん」

越中では「おちんちん」

...やげな。

【追記:方言本「岐阜弁まるけ」には 正座のコトは 

おちゃんこ@岐阜市、おちょこん@関ケ原町 と載ってました。

正座の幼児語方言は 北海道から九州まで千差万別らしい。】

 

方言周圏論からすると 京を中心として同心円で関西や北陸東海各地に広がったのかもね。

試しに 富山県人に聞いたとしても

ちゃんと答えてもらえん気がするのは...考えすぎかな?

さて、話は戻り 彦根城表御殿の博物館。

兜の天衝(てんつき)の位置に脇立(わきだて)と 前立(まえだて)があり...

その使い分けもフムフム。

じっくり見てまわれば...今更ながら興味深いモノがいっぱい。

さぼっとる篳篥レッスンも そろそろ再開せないかんやろ...と言わた感じ。

ホント 超久しぶりの彦根城博物館でしたが、エエもん見させてもらったY。

この登り石垣ですらちゃんと意識して見とらなんだんで。

淡路島の洲本城跡でも知っとったのに。

 

視界に入っていても ちゃんと記憶として定着しとらんモノまるけ。

大脳のメモリ容量が限られとるんでね。

西の丸 二重櫓と続櫓だって...ちゃんと見上げてなかったなあ。

堂々と美しく聳えとるやん。

船町口多聞櫓跡の雁木でさえも...

上がってみれば... 堀の向こうに滋賀大学 彦根キャンパス。

近づけば 経済学部講堂でした。

距離的に近いんで ここに進学した同級生がいたし 従兄弟も。

 

旧 彦根高等商業学校講堂として建てられたモノ。

大正13年の竣工の建物は 今や 登録有形文化財。

こういう建物...好きなんよね~。

 

国の重文や登録有形文化財の建造物が多い自分の母校も思い出す。

先週末はこんな講演会へも行き

長浜城歴史博物館長でもある史学者 太田浩司センセによる

「関ケ原合戦の真相...三成の戦略と誤算...

~その勝敗を分けたものは何だったのか?~」

そして 関ケ原古戦場記念館長 小和田哲男センセとの対談を

たっぷり楽しませてもらいましたよ。

ご両名とも三成びいきやと知れて...ニタリ。

石田三成が主人公の大河ドラマ...はよ~やって欲しいよね~。

本日 当地 下池(しもいけ)の五三川では 河津桜が ほぼ満開となり

春の強風に耐えて 

麦は 生命力満々の弥生一日。