むっくり起きで洲本城跡を散策できる絶好のロケーション....
そんな宿で連れ合い爆睡の朝5時過ぎに 一人トコトコ登城したのは淡路旅の2日目..水曜日。
急な遊歩道を行けば 西登り石垣が現れ... 気分が高まる。
東にも同様の登り石垣があるらしいけれど 共に横からの敵の進入を阻む 竪石垣。
往時は 下の城(居館)から この竪石垣の間を通り 本丸へ直登できたのかも。
途中 石垣の崩落箇所には 臨時のパイプ階段なんぞが設けられており...
整備途上の国史跡 (1999年指定)です。
この図上、上部中央から西登り石垣を横切り 左下に向かって登城しましたよ。
つまり搦め手から 抜き足差し足で...
本丸に着けば 赤地に白抜きの輪違いが パタパタ。
おっ、脇坂家の旗印や~ん。
もともと安宅氏の土塁の山城を 1585~1609年の約24年間 城主だった脇坂安治が 石垣の城へ修築したんやね~。
結局 その後は廃城となり 蜂須賀家が麓の居館住まいをしとる間に...
天守は滅失して幾星霜...
で、昭和3年に 昭和天皇の即位式を記念して建てられたのが 鉄筋コンクリート製の展望台に特化した塔式の天守やとな。
模擬天守としては 日本最古らしい。
でもね~... なんかな~..... コメント不能で 残念!
そんな本丸から東を望めば....
東の丸方面から 朝日が昇ってきましたよ。
洲本市街を望む
本丸搦手虎口の上からカシャ
本丸虎口
本丸大石段
なかなかの風格です。
朝日あたる南の丸 隅櫓跡
馬屋(月見台)から 南東方向 眼下に 洲本温泉街
ウォーキングする人は ほぼ無しの早朝...
南の丸 西隣の梅園から本丸方面をカシャ....で、ホーホケキョ。
天守の建て替えと 史跡要所の解説板の改善をすればなあ....
城跡マニアを引き寄せる潜在力はあるのに~.....惜しいねえ。
宿を出た後 ジジイにとってはお初の徳島県へ向かい、午前は大塚国際美術館、
午後には うずしお観測船という お定まりの観光ですわ。
戦国時代 脇坂安治も率いただろう水軍も 難儀した 鳴門海峡へGo!
海の中の水流が見える構造の船でしたが...
泡の小竜巻を見ていても気持ち悪くなるだけで、
つまらん....てなコト言いつつも
そうそうに船の最上デッキに上がれば...
ワォーッ... うずしお!
大潮の日の 干潮時間ちょい前やったんで 潮の渦巻が大きい。
渦巻く波音も いとおかし....で、眼からウロコの大迫力。
下の写真は大鳴門橋の向こうが淡路島
つまり 左が瀬戸内海で 右が紀伊水道。
当日は大潮で 朝8時過ぎに紀伊水道では満潮。
大阪湾⇒明石海峡⇒播磨灘(瀬戸内海)....淡路島の周りを満ちた潮が時計の逆回りに進んで鳴門海峡北側に到達するのが約6時間後の14時過ぎ。
その頃には紀伊水道側が干潮となっているので 落差が生じ....瀬戸内海側から紀伊水道に潮が流れ落ちるんですね~。
ちなみに紀伊水道が満潮時は 鳴門海峡北側が干潮。
これが渦潮発生のメカニズムとはブラタモリもびっくりやん。
向こうは 鳴門側で 潮は 右から左へ。
日本にも 地形が発生させる自然現象を観光の目玉にしとる所が多いですが、
鳴門のうずしお......久々に 心を躍らせてくれました。
....おおきに~。
さらば 鳴門海峡!