日本三大稲荷に入るか入らんかは知らんけど...

知る人ぞ知る お千代保稲荷。

その参道西側に どっしり構える大きな屋敷...

そこが4年前 国の重要文化財に指定された岐阜県下屈指の豪農 早川家住宅です。

ガイド研修の一環として観光ボランティアガイド仲間と共に 訪ねたので記録しとこ。

ちょいと恐縮しましたが、海津市のふる里おもてなし隊の皆さんに迎えてもらい...

ありがたや。

寒緋桜咲く水曜朝のコト。

黒板壁の建物群が 屋敷感を盛り上げてましたよ。

でもね~...

「安全第一」の安全柵が 景観に合うような色遣いとデザインなら...

調和するのに~....惜しい。

ここの見学は 毎月1日と15日の 

10:00~11:30 の午前コース

13:00~14:30の午後コース 

月4回のみで、1週間前迄の完全予約制。

 

ご当主が直接 開門して 迎え入れてくれました。

皆で 丁重に挨拶をして 表門からぞろぞろ。

1891年の濃尾大震災で甚大な被害を受けた後

耐震・水害対策が施され 再建された住宅。

それが約120年後に 国の重文になるとは....結構 凄いコトなんやね。

液状化現象対策として 地盤補強の為に 松杭とコンクリートが地中に埋められ..

まるで江戸とかベニスの街みたいやん。

辰巳蔵(たつみぐら)は 米庫(こめぐら)とも言われとったらしく...なにやら懐かしい趣。

輪中によくある水屋のように見えますが...

ご当主曰く 飯米庫(はんまいぐら)とな。

水害時用に 非常米や味噌醤油を備蓄したんやと。

主屋の右にはナマコ壁の洋館が連なり...

通常入り口土間の左奥には 式台がある格式高い玄関までも。

高須藩10代藩主 松平義建(よしたつ)公が 江戸の藩邸から国元に帰った際、ここの旧屋敷にも立ち寄ったげな。

義建は あの徳川慶勝(尾張)・徳川茂徳(高須・尾張・一橋)松平容保(会津)・松平定敬(桑名)の高須4兄弟の パパです。

 

で、軒下には鉄のアームなんぞも チラッ。

元の位置より更に70㎝ほど 基壇が 嵩上げされとるので 

石段トントントントントント。

中に入れば...重文の社会的役割やら 写真撮影に関する注意説明があり、屋内の展示資料や調度品は SNSに載せるのはNGとな。

なので ブログへの写真貼付は外観と 躯体の柱構造ぐらいで ご無礼。

主屋のカッテニワ(お勝手場:台所)から上を見上げれば

耐震強度を上げるアーチ状の太い一木の存在感がスゲ~。

梁桁の筋交いもね~…ご立派!

1892年3月 主屋の手斧始め 12月には上棟式

2年かかって 1894年後半に竣工。

1896年(明治29年)には新築ピッカピカなのに 大水害に遭い

玄関や次の間の砂壁には 水に漬かった当時の水位の跡が残ってましたよ。

当時の主 早川周造氏が 貴族院議員をしていた頃の 資料や

交友関係を示す 写真の数々... なかなか興味深いモノばかり。

茶匠と言われた著名人の協力を得て設計された座敷や庭も なかなかのモノらしく、大規模で秀逸な意匠の近代和風住宅は稀らしい。

建築関係文献資料が多く残されているのも重文指定のファクターやげな。

 

昨日は ご当主とお姉さまが ガイドをされ、奥深い知識と裏話エピソード満載で 大いに好奇心が刺激されましたよ。

 

《坪庭には 揖斐石と柏の木》

1500円/人 の拝観料は お茶・お菓子のおもてなし込みだし

文化財の保存・補修の原資を確保せんならんと考えると...諾。

釘隠しの意匠に網代組みの建具や透かし彫り欄間...

残月床(ざんげつどこ)や框(かまち)の花押(かおう)...

豪華な衣桁(いこう)や障子の桟の面取り...

この時代のお大尽(お金持ち)は

近江日野や 伊勢松坂の豪商の邸宅に 桑名の諸戸氏邸 然り

よ~似てござるわ。

 

《自宅の乙女椿も豪華でしょ?》

《アネモネ》

今日は 自宅周りで 土筆(つくし)を採り はかま取り作業しながら 一句。

土筆採り 猫の手を借る 昼支度

外では ハクモクレンのお花見をしながら...ウクレレ練習...

卒業写真・さくら(森山直太朗)・ハナミズキ...

ホント気持ち良い日でしたね。

明日夜から雨の予報

...雨に打たれるまでの はかなさかな。

今を生きる象徴のような...木蓮です。