金堂と根本大塔の御朱印で約1時間かかってしまったため
大師教会での授戒を断念して高野山を下りることにしました。

ケーブルを降りたら橋本行きの電車が発車するところでした。

忿怒の形相で猛ダッシュヽ( ̄д ̄;)ノ=3

なんとか間に合って九度山に向かいます。
山上では晴れ間が出ていたのに車窓から外を見たら
あら、雨が降り出しています。

九度山駅ではコインロッカーはないと思っていましたが
アリマシタヨ(^_^)これは助かりました。

慈尊院へ向かう途中、お昼ご飯を食べていない私たちは
柿の葉寿司の九和楽さんに立ち寄りました。

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予約をしておいたので、鯖、サーモン、椎茸のミックスです。

一箱持ち帰って、帰りの新幹線で食べましたが、
翌日、暑い中を一日持ち歩いていたのに全く傷んでおらず、
柿の葉の香りが香ばしく、酢もやわらかくなり
さらに美味しくなっていたのには驚きました。

東京へ帰ってからは残りは焼いて焼き鯖寿しに。
柿の葉寿司の実力を思い知りましたヽ(゚◇゚ )ノ


慈尊院です。

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あいにくの雨でしたので、ご開帳の弥勒様とは
ガラス越しの拝観となりました。


ガラスに丸い穴でも開いてたら、受刑者と面会人のような感じです。

もちろん受刑者は私ですが…





私: 面会に来てくれたの、嬉しいわ。






弥: うむ、下着を持って来たぞ。


 


…弥勒様に下着を持ってこられても
どうかと思いますがヽ(;▽;)ノ



しかし堂々たる体躯の弥勒様です。
蓮弁などの色彩は造立当時のものとか。
九度山はとても良いところなので、
再びご開帳されることがあればまた訪れたいと思いました。

ちょうど大型バスが2台到着したので慈尊院を退散しまして、

電車の時間は迫ってましたが、行っちゃえ!

と真田庵。

九度山に蟄居を命じられた真田昌幸、信繁(幸村)親子の
屋敷跡地に建てられた、善名称院という尼寺です。

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忍者屋敷のような建物です。

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真田十勇士だ;^_^A


真田庵では御朱印があるとも知らずに
サッと見て九度山駅へ急ぎました。
もしかしたら橋本で特急に乗れるかもしれない。

橋本に着いたら特急券は完売(T_T)

でもアナウンスは残りわずかと言う!

思わず駅員さんに走り寄りましたが、




駅員さんは暗い顔で、

首を横に振るだけでした…


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さよなら特急こうや。


高野山、また会う日まで

( ; _ ; )/~~~









高野山の続きです。
宿坊をチェックアウトして
二日目が始まりました。

予定では、清々く静寂な朝イチの奥の院を歩くつもりでした。
しかし、昨日の混雑状況を考えると
金剛峰寺へ先に行ったほうが良いかなー、
と思い、金剛峰寺まで歩いて行きました。

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↑この黒服が高野高校の学生さんなのかしら。
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すでに参拝者はたくさん…

回向柱の結縁の紐も並ばなくては触れることができません。

堂内には御開帳中の弘法大師様が
遠ーくにオラレタネ。


拝観順序どおりに進むと
豊臣秀次自刃の部屋と言われる柳の間があり…


豊臣秀次は切腹後、首は京都の三条河原に送られますが、
亡骸は光臺院の裏山へ葬られました。
(お墓のお参りは光臺院に予約です)

謀反の疑いをかけられ切腹させられた秀次さん。
光臺院のあの美しい阿弥陀様のもとなら
秀次公も心安らかに眠ることができるでしょう…

秀次公はさぞ心残りだったと思いますが、







もう迷うでない。出てきてはならぬむかっ


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ひゃあー、でたーY(>_<、)Y

快慶の阿弥陀様は慈悲深い…ようですが

けっこう怖いのよね((゚m゚;)



新別殿ではお茶の接待があると聞いていましたが、
入り口でおせんべいが配られただけでした…

蟠龍庭を見て。


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2,000人分のご飯が炊ける竃がある
台所を見たり、オモシロカッタネ

金剛峰寺の御朱印は運良く並ぶことなく
いただけました。


そしてやっと奥の院です。
最後になってしまいお大師様には申し訳ないと思いながら
バスで一の橋まで行きました。

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奥の院へは必ず一の橋から歩き、
そして再び一の橋へ戻る。

これが今回の奥の院参拝のこだわりでした。
なぜならお大師様は一の橋で参拝者をお出迎えくださり、
帰りも一の橋まで無事に見守ってくださると聞いていたからです。


橋の前で一礼し、杉の大木が立ち並ぶ中へ歩き出します。

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時々、雨がパラパラと降りますが
傘をさすほどではありません。

理想的にいい感じ(^_^)

道の両側には有名な戦国武将の供養塔など
が立ち並んでいます。

五輪塔を作るための大きな石などを山上に持ち上げることは
相当な労力だったと思います。これは財力の為せるわざですが、
事故もあったかもしれません。

小さな石塔はきっと人に背負われて
山道を登ってきたのでしょう。

大きくても小さくても浄土への思いは同様だったと思います。
これは供養される側ではなく、供養をする人々の思いです。

長い長い時間を経てその墓石は苔むして、
独特な空間が広がっています。

そんな場所ではなんとなく無口になってしまい
有名武将などの墓石の前で写真を撮る気にはなりませんでした。


中の橋を渡ると姿見の井戸があります。
井戸を覗いて自分の姿が見えなかったら
3年以内に命を落とす、らしいです。

おそるおそる覗いてみました。


見えません…


もう少し体を伸ばして覗き込みました。



自信なさげな自分が見えてきましたヽ(;´ω`)ノ


ようするにね。

あの井戸の中をガバッと背を伸ばして覗き込む元気がない人は
ヤバいってことじゃないの?と同行者。

ああ、ナルホドね。
説得力のあるご意見で(^_^;

そして、お線香が煙るお大師様の御廟へお参りして、
休憩所前ではリンゴジュースのご接待を受けまして
再び一の橋へ戻りました。

お大師様、無事に送っていただきありがとうございます。


さて。
もう一つやり残したことがあります。
金堂と根本大塔の御朱印をいただいてません。

バスで壇上伽藍に行ってから一時間近く
御朱印の列に並ぶ覚悟を決めました。(´д`lll)





前回の記事で早速お気づきの方もいらっしゃいましたが
宿坊は北面大師様がおられる寺院です。

創建時は九度山の慈尊院内にありましたが、
後に高野山内に持ち上げられた、
お大師様のお母様ゆかりのお寺です。
これは特に希望したわけではなくて
たまたま宿坊協会さんで紹介された宿坊でした。

宿坊の朝は勤行から始まります。
本堂のストーブには火が入っていました。

お勤めは40分ほどでしょうか。
一人一人順番にお焼香をした後、
本堂の隣室でお厨子にお入りの北面大師様を
拝観させていただきました。

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パンフなどではお大師様は横向きですが、
お厨子の中でははじめから斜めに安置されており、
お顔だけが正面を向いている状態でした。
厨子の扉を開くと、

ヤァ(・◇・)/ 

と目が合ってしまいます。
あ、もしかしたらお厨子の扉が北側にあるので
北であるこちらを向いているのかもしれません。

横顏は憂いを帯びている表情ですが、
正面を向いたお顔はなんとなく可愛いです。


北面大師様は普段は宿坊に宿泊しないと拝観できませんが、
高野山開創1200年の期間だけは
電話予約で拝観できるようです。



御朱印もいただきました。

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二本松藩丹羽家の菩提寺なので、
寺紋は丹羽家の直違い紋(X)
左は新発田藩の溝口菱です。
二本松初代藩主は織田信長公の重臣、
丹羽長秀のお孫さんなんですね。
溝口家も丹羽長秀に仕えた家系です。




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ところで、この時期に高野山へ行かれた方は
寺院の門前に水の入った桶や盥と杉盛りが
置かれていたのを目にしていたと思います。


門前にあった水桶と杉盛り

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宝亀院さんにもありましたよ。

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光臺院さん。品がいいです。

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形はそれぞれの寺院で違いますが、これは山内や各寺院で
催しがあった場合に限られて置かれるものらしいです。
馬盥(ばたらい)とも呼ばれ、盥の前には
独特な形の杉盛りが置かれます。

開創1200年の期間は全山のイベントですので
あらゆる寺院の門前に置いてあり、
お祝いムードを盛り上げていました。

馬盥は昔からの慣わしで、馬に水を飲ませるためのもの
参拝者の清めの手洗いのため使用していたとも言われるそうです。


このような水の入った盥なのですが、
なぜか小銭がたくさん投げ込まれていました。



決してお賽銭箱には
見えないと思うんですが(´Д` )