高野山の続きです。
宿坊をチェックアウトして
二日目が始まりました。
予定では、清々く静寂な朝イチの奥の院を歩くつもりでした。
しかし、昨日の混雑状況を考えると
金剛峰寺へ先に行ったほうが良いかなー、
と思い、金剛峰寺まで歩いて行きました。
回向柱の結縁の紐も並ばなくては触れることができません。
堂内には御開帳中の弘法大師様が
遠ーくにオラレタネ。
拝観順序どおりに進むと
豊臣秀次自刃の部屋と言われる柳の間があり…
豊臣秀次は切腹後、首は京都の三条河原に送られますが、
亡骸は光臺院の裏山へ葬られました。
(お墓のお参りは光臺院に予約です)
謀反の疑いをかけられ切腹させられた秀次さん。
光臺院のあの美しい阿弥陀様のもとなら
秀次公も心安らかに眠ることができるでしょう…
秀次公はさぞ心残りだったと思いますが、
もう迷うでない。出てきてはならぬ
ひゃあー、でたーY(>_<、)Y
快慶の阿弥陀様は慈悲深い…ようですが
けっこう怖いのよね((゚m゚;)
新別殿ではお茶の接待があると聞いていましたが、
入り口でおせんべいが配られただけでした…
蟠龍庭を見て。
いただけました。
そしてやっと奥の院です。
最後になってしまいお大師様には申し訳ないと思いながら
バスで一の橋まで行きました。
そして再び一の橋へ戻る。
これが今回の奥の院参拝のこだわりでした。
なぜならお大師様は一の橋で参拝者をお出迎えくださり、
帰りも一の橋まで無事に見守ってくださると聞いていたからです。
橋の前で一礼し、杉の大木が立ち並ぶ中へ歩き出します。
傘をさすほどではありません。
理想的にいい感じ(^_^)
道の両側には有名な戦国武将の供養塔など
が立ち並んでいます。
五輪塔を作るための大きな石などを山上に持ち上げることは
相当な労力だったと思います。これは財力の為せるわざですが、
事故もあったかもしれません。
小さな石塔はきっと人に背負われて
山道を登ってきたのでしょう。
大きくても小さくても浄土への思いは同様だったと思います。
これは供養される側ではなく、供養をする人々の思いです。
長い長い時間を経てその墓石は苔むして、
独特な空間が広がっています。
そんな場所ではなんとなく無口になってしまい
有名武将などの墓石の前で写真を撮る気にはなりませんでした。
中の橋を渡ると姿見の井戸があります。
井戸を覗いて自分の姿が見えなかったら
3年以内に命を落とす、らしいです。
おそるおそる覗いてみました。
見えません…
もう少し体を伸ばして覗き込みました。
自信なさげな自分が見えてきましたヽ(;´ω`)ノ
ようするにね。
あの井戸の中をガバッと背を伸ばして覗き込む元気がない人は
ヤバいってことじゃないの?と同行者。
ああ、ナルホドね。
説得力のあるご意見で(^_^;
そして、お線香が煙るお大師様の御廟へお参りして、
休憩所前ではリンゴジュースのご接待を受けまして
再び一の橋へ戻りました。
お大師様、無事に送っていただきありがとうございます。
さて。
もう一つやり残したことがあります。
金堂と根本大塔の御朱印をいただいてません。
バスで壇上伽藍に行ってから一時間近く
御朱印の列に並ぶ覚悟を決めました。(´д`lll)





