対機説法から体系化へ
「概論」のカテゴリでは、仏教の修行法の全体像と各派の概要を扱います。
また、各派の違いや関係を分かりやすく伝えるため、主に各派の完成された段階を扱い、また、中国仏教や禅については省きます。
詳細はその後の各章をお読みください。
釈迦は「対機説法」といって、相手に応じた説法をし、瞑想の指導をしたようです。
ですから、教説や修行法を体系的に説きませんでした。
「原始仏典」でも、経典によって様々に修行法が説かれます。
そのため八万四千の法門(修行法)があると言われることもあります。
ですから、元々は修行法には誰にでも当てはまるような決まった形はありませんでした。
ちなみに、最古層とされる経典 (「八つの詩句(義足経)」、「彼岸に至る道」)には、具体的な修行法に関しては書かれておらず、「常に気をつけているように」と何度も語られます。
しかし、徐々に、行うべき瞑想法が選別・形式化され、階梯化・体系化されていきました。
仏教の教団は、部派仏教時代に多数に分裂しましたが、各部派は、教義論争などを通じて教説を体系化し、それぞれに論書や注釈書を作成し、遡って経典を作成したり修正したりしました。
このような部派内の経典や論書の創造運動を背景に、部派内の学派として、大乗経典も作成されました。
釈迦の頭の中には、体系的な思想・教義も修行法もあった、と考える人もいますが、これは、仏教を学ぶ人が持ちがちな、典型的な煩悩ではないかと思います。
真理は一つという信仰は別にして、思想は創造的であるほど、体系化され難く、新しいものを生み出し続けるものです。
初期仏教の最も重要で代表的な修行道は、「八正道」です。
「八正道」の各支の相互の関連付けや体系化の芽生えは、経典では「大四十経」に見られます。
これによれば、
・「正念」と「正精進」を伴って、「邪見」が「正見」となる。
・「正見」、「正念」、「正精進」によって、「邪なる思惟・語・業・命」が、「正なる思惟・語・業・命」になる。
・「正見」、「正思惟」、「正語」、「正業」、「正命」には、煩悩のある(有漏)段階と、ない(無漏)段階がある。
・無漏の聖道では、「正見」→「正思惟」→「正語」→「正業」→「正命」→「正精進」→「正念」→「正定」と経て、「正智」、「正解脱」をもって阿羅漢となる。
このように、「正念」と「正精進」は常に必要で、「正見」に始まり、「正定」に至るという順序があります。
一般に、初期の修行法であり、仏教全体にとっても基本となる修行法は、「三十七道品(三十七菩提分法)」としてまとめられています。
その要素は、古層の韻文経典の「テーラガーター」、「テーリーガーター」の段階で、記載されています。
これは、「四念処(四念住)」、「四正勤」、「四神足」、「五根」、「五力」、「七覚支」、「八正道」の7種類の修行法を合わせた全37項目です。
もともと、この7つは独立して説かれたものです。
この中でも「四念処」は具体的な瞑想法で、「七覚支」も階梯的構成の瞑想法ですが、他は修行に必要な項目をそれぞれの観点から数え上げたものです。
「三十七道品」は、修行法が階梯化を伴う体系化がなされる以前の修行観を表しています。
その後、初期の論書の中で、「三十七道品」の各支は、徐々に修行道として段階化、体系化されていきました。
例えば、「四正勤」→「四神足」→「四念処(=念覚支)」→「七覚支(の残り六覚支)」といった具体です。
必ずしも「三十七道品」の中には数えられていませんが、初期仏教で重視された具体的な瞑想法には、「不浄観」、「界差別観」、「慈悲観」、「出入息念(安般念・数息観)」、そして「四念処」、「五蘊観(無我観)」、「四諦観」、「縁起観(因縁観)」があります。
後で述べますが、南伝の上座部では、前4者は「止」、後4者は「観」の瞑想法として分類されるようになりました。
また、特定の修行法だけで悟れるとされた修行法のことを「一乗道」と言います。
南伝では「四念処」が、北伝ではそれに加えて「五蘊観」、「四諦観」などが「一乗道」とされました。
「一乗道」という考え方も、修行法の階梯的体系化がなされる以前の修行観を表しているのでしょう。