女性は何をもって輝いているというのか? | たおやかに、しなやかに、賢く、美しく、力強く生きていくためのセルフブランディング術

たおやかに、しなやかに、賢く、美しく、力強く生きていくためのセルフブランディング術

たおやかに、しなやかに、賢く、美しく、力強く生きていく
真の「自分らしさ」を知る
女性にこそ自分自身のブランド価値を演出し、人生を楽しんでほしい
その可能性は、セルフブランディングにあります

女性は何をもって輝くというのか?」
今日は自宅でPCデーなので夕飯はリクエストに応えて「春巻き」ちょっと時間がないと出来ないメニューで
でも子供にはオフクロの味らしい・・・

 

野菜を何種類も千切りにする工程が多いのだが
このような時は女性として輝いていないのか?
本人はそんなこともなくまあまあ好きな時間♪

 

今、「輝きたい!」と思う女性が増えてきたほうに思います。思うのはいいのですが・・・
自分なりの輝きじゃなく、いつの間にかまた周りの物差しで
図っていないでしょうか?

 

ちょうど私が大学受験の頃から偏差値が定番化され
自分の尺度が偏差値になりつつあり

そこから就職、結婚など女性のライフステージは選べる時代になって来ていて
日々の暮らし方はその人の望むスタイルを選ぶようになってきているものの

子供が生まれると子供の評価が自分の評価にもリンクして
子供の成績がいいと親として輝いているみたいな・・・

 

「女性が輝く」は何をもってそういうのか
ピンと来ないでいます。
自分が原石であることを気づいていないから
輝いている人のそばにいったり
輝く為に魔法の杖のようなアイテムはないか
探してしまったり・・・

 

私が知る限り「輝いている女性」は
「自分がこう生きる!」「こうありたい!」が
決まっている人かな

 

だから何をしていても輝いているように見えるのではないでしょうか?

私は誰もが原石であるけど
それをより磨いて輝かせるには
いつも先の自分を描いてそこに足りないものに気づく目を持っているかどうか
気づくからまた磨きがかかるのではないでしょうか。

 

私が知っている限り
年齢を越えて輝いている人は
いつも自分の物差しで生きている!
それはワガママの物差しではなく
かなり研ぎ澄まされた繊細であり
俯瞰して図れる物差しであるように思いますね。