2011.3.11
この日付は日本国民にとって忘れることのできない日となっているでしょう。
この日付に対して、私が運動指導者として感じ、今思うことを少しお話しさせて頂ければと思います。
もしかするとご覧の皆様のご気分を悪くするような内容かもしれません。
私的な用件でですが、少し皆様と別の時間軸にいたような状況でしたので日本人としての当事者意識に欠けているかもしれない内容です。
母が病床に伏せており、この日付の直前に本人から最後の電話がありました。
福岡で電話を受け取り、「もう長くはない」と悟った直後の震災でした。
情けない話しですが自分自身の状況もあり、被災直後も正直日本の現状を把握できてなかったと思います。
そして、医師からの報せを受けて滋賀へ帰ることとなりました
現在のクラブのOPENを直前に控えたタイミングでの帰郷ということで、
皆様にも大変ご迷惑を掛け、支援もできず被災地の方々に対しても所属クラブの会員様、スタッフにも申し訳ない思いでした。
最期を看取るまでの約2週間、中部地方でもM5程の地震があり滋賀の病院も揺れました。
TVもほぼ見れず、病院に缶詰で外の情報がシャットアウトされている中ではその揺れで日本の現状を知らされていました。
わずかにしか会話できない体力なのに、母の口からは東日本の皆様のご無事を祈る言葉が出ることに尊敬の念を抱きました。
少しずつですが確実に弱っていく身体、思うように手足が動かせなくなり、言葉を交わすことが少なくなっても被災地の皆様を心配する言葉が無くなることはありませんでした。
自分のことより、他人のことを想う気持ち。
最期まで涙を見せず、家族や皆様のことを想い息を引き取りました。
26年過ごし、母の涙を見たのは一度きりです。
病が再発し、「先生、死にたくないんです・・・」と医師に漏らした時だけです。
その時も母は背中しか見せてくれず、一度も涙を流すところを見ることなく別れを迎えました。
誰よりも他人を想いやる本当に心の強い人でした。
2011.3.11からの約2週間ほどは私にとっては【人の心の強さ】を知る時間になりました。
母を看取る中で本当の強さを知ることができたように思います。
震災から1年。
人間にはそんな心の強さがある。
それなら、どのような被害や状況からでもいつかは立ち直ることができるのではないかと思います。
もちろん、それには日本中に他人を想いやれる心が溢れていることが必要だと思います。
並大抵のことではないと思いますが、一番長く過ごし身近だった母がそんな心の強さを持っていましたし、
今周りにいて下さる人もそんな心を持った方々だと思います。
そして、いつもこのブログにお付き合い頂いている貴方もそんな心の強さを持った方だと私は思っています。
もしそこまでの心に至ってない人間がいるなら、皆様にお世話になりっぱなしの私くらいでしょうか。
今後、人間として成長し皆様と同じような心の強さを身につけ社会貢献していきたいと考えています。
私にできる社会貢献とはなにか・・・?
それはこの1年で自分の中では答えが出ています。
母も強い心を持っていますが、やはり自分の身体が思うように動かなくなる時は不安になっていました。
人は自分の身体が思うように動かせる、つまり「動作」を行えることが当たり前になっていますが
動かなくなった時に不自由を感じ、健康で自由に動けることの有難さに気付きます。
また、このブログでも常々発信しているように動作は「感情」を表すと言われています。
つまり、人は自由に動作を行えることで自分の感情を表現でき、活き活きと暮らしていけるのではないか?
と考えております。
つまり、私にできる社会貢献とは・・・
少しでも多くの方に健康的で自らの意思・感情を表現するための身体作りのお手伝いでは?
と今は思います。
言葉として固まっているのですが、今はまだちゃんとお伝えすることができません。
また、動作は姿勢より生まれる。
Posture&Movement
この言葉の意味の一端と私にできる社会貢献については近い将来、皆様にちゃんとお話しできると思います。
3.11に感じた想いを大切に、「運動・動作」というギャップの架け橋で社会の健康と笑顔に関わっていければと思っております。
今はまだ遠方である福岡にいる1人のトレーナーですが、将来は社会の健康に大きく関われるようなトレーナーに成長し、1人でも多くの方の心と身体の健康を支えられるよう精進致します。
最後までこの記事をお読み頂き、誠にありがとうございます。
被災地の皆様の健康と笑顔を願い、今回の記事を締め括らせて頂きます。