今までにない身体の異変と思考の異変 | Moratoriumer´

Moratoriumer´

今日も波に揺られて海を漂う。

毎日甘露煮を食していたら

舌が一日中ヒリヒリとしだし

なぜか知らないけれど

めやにがついているのかと何度も目をこすっていたら

唇の端が裂けるように

右も左も目頭が裂けていることに気付きました(笑)

一体うちの身体に

何が起こっているのでしょう。

味覚に自信がなくなっている日々だけど

目が大きくなるのかなぁと期待している日々です。

卒論を執筆することで一日を終えるのは

やはりおもしろいものではないけれど

それを通じて学ぶことや

自身が持つものさしや

所詮一点からしか見えていなかったことに

なんとなしに気づくきっかけを与えてくれること。

また

言いたいことを何一つ言えず

数値から読み取ったものをもとに文章化し

客観性を求められながらも

独自性を求められるという

うちにとって超難題にぶち当たるのも

この卒論のおかげだと思い

感謝しながらも

諦めと妥協と開き直りを以ってして

なんとか文章を書きあげております。

研究者としては

「ケ」の字も知らぬ初心者ですが

それでも

自分の研究における限界と

自分との対話で生まれる矛盾と

自分にあるものさしの存在に気づくことが

この卒論を書きあげる本来の意義なのかなぁと。

そこに気づけたことで

もはや卒論の内容

あるいはそこから導いた結果考察うんぬんではなく

それまでの過程をうちは大事にすべきなのかなぁと

そう思っています。

数値も

グラフも

結局は自身のものさしで見ているにすぎず

それは出し方次第でいくらでも変えられるのだと

騙されながらもそれを利用し

自分のいいように出すうちに

不甲斐なさと落胆を感じるのは確かです。

先生を前にすると

そんな自分が露骨に出る恐れから

身体が委縮してしまうのも確かです。

結局

うちは数値もグラフも信じられず

唯一信じられるのは

客観性などまるでない

一人間なのだと

そう思います。

生身の身体と

個別性に満ちた過去と

そこから発せられるなんの客観性もない言葉が

何よりも信じられるものであり

信じたいものでもあります。

理論なんて

一人間によって

もしかしたら例外として扱われてしまうかもしれないけれど

いくらでも変えられるのだと

そう思ううちは

なんと論理的ではないのでしょう。

でも人間は

理論によって生きてるわけではないから

理論によって説明されてるだけにすぎないから

まーいいじゃないかと

また開き直るうち(笑)

おかげで元気です。

今年中には

書きあげます。

そしてやりたかったもろもろを

おもいっきり楽しんでやろうと

そう思っています。

ビバ自由!


うちはこの世界では息の根が止まりそうです。↓
にほんブログ村 恋愛ブログ 同性愛・ビアン(ノンアダルト)へ
にほんブログ村