「勘違いさせては悪いので」の続き | Moratoriumer´

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今日も波に揺られて海を漂う。

勘違いをさせかねなかった夜の話。

翌日あきは話してくれた。

「えまの生活を掻き乱してる気がして」

そう思って

うちが眠ったのを見届けたら

その夜は外に出ようとも考えたのだとか。

でも

以前にも似たような夜があったときに

「そばにいてくれて嬉しかった」

と言ったうちの言葉が

朝まであきの足を止めてくれた。

そんな話を聞いて

うちは危うく涙を落としそうになった。

あきまでもがそのように感じるのならば

うちは一人になってしまうんだよと

そう思って。

あきの存在は

「癒し」でもなければ

「安らぎ」でもなければ

「温もり」でもない。

もしそうならば

癒してくれる人のところにいけばいいし

安らげるところに行けばいいし

温もりの感じるところに身を委ねればいい。

でも

そういう代替が成り立たないのだから

おそらくあきの存在は

何にもかえることはできないのだろう。

つまりあきがいなくなったら

空になるのではなく

もうそれ自体が無になる。

おそらく

何も感じない。

空気があることを普段感じないように

あきがいないことを感じなくなるんじゃないかと。

空気があることが当たり前だと思うように

うちは一人で生活することのが当たり前だった。

だからこうして日々あきと過ごしているのも

毎日がうちにとっては特別で。

そもそも出会えたことが

本当に奇跡なんじゃないかと思う。

・・・といいつつ

それも必然だったのだと結果的に思う。

出会うべくして出会ったのだと。

「会えて良かった」というより

「ようやく会えた」という感じなのだから。

うちもあきも

相手を想うあまり

不意に姿を消すんじゃないかと

なぜかおそらくお互いに思っているところがある。

あの夜

もしあきが一夜だけでも

その一夜に姿を消していたならば

もしかしたら

うちらの関係はおじゃんだったかもしれない。

要は

何が書きたかったのかというと

うちにはあきが必要なんだってこと。

「えまは優しいから」

だからって独りよがりに考えて

勝手に姿を消すのは

この先もどうかよして欲しいんだ。

一緒にいたくないと思っていたら

うちはとうに自ら姿を消してるよ。

優しさと捉えられているものが

ときに弊害になることもある。

けど

「そんなえまが好き」

と言ってくれるなら

そんな優しささえもどうか愛してやって。

ベッドから出てくるあきが使った何枚ものタオルも

至るところに一足ずつ落ちているあきが脱いだくつ下も

うちは愛すからさ(笑)


ちなみに、同棲し始めたときと変わらず、今もらびゅらびゅですょ。↓
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