人に愛を、論理には温度を | Moratoriumer´

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今日も波に揺られて海を漂う。

論理的に考えるのは嫌いじゃない。

でも理論をもとに自分が話すのは好きじゃない。

論理的に文章にしようとすると

すっきりするようで

こんがらがる。

むじゅんだらけ。

だからいつも頭の中だけで行い

文章という形でまとめずに蓄積。

自分に筋を通すためだけの一人議論。

たぶんおそらくうちは

理論派ではなく実践派

というか

頭は理論に喜び

体は実践に喜ぶ。

あたりまえか(笑)

ならば

理論に始まり

実践で終わる。

その一サイクルで一つの終止符が打てる。

そうすることで

自分の拙い論理的な思考に温度を与えてきたのだと思う。

考えた分だけ

動くことで。

バランスの調整。

一単語の意味や解釈や選択によって

無情にもそがれていってしまう世界は

まるでうちにはモノクロ世界。

さらには

制度や仕組みや歴史

対策や問題点や展望

そこでの議論はモノクロかつ二次元の世界。

でも

そんな世界でもカラーが加わり

三次元になることもある。

その瞬間っていうのは

客観的な数字でもなくグラフでもなく

結局のところ主観的な「人」なのだ。

その人の生きざまだったり思いだったり。

昨日

とてもスマートに講演をする人に出会った。

一聴衆にすぎなかったから

「出会った」というより「見た」という程度なのだけど。

数多の世界規模のデータの入った棚から

的確かつ丁寧に取り出し

誰にでも手にとれるよう置いてくれるようだった。

自分の言わんとすることを濁すことなく

データという媒体を通しても届けられるその能力と

いっぱいのアウトプットに対して

いっぱいのインプットも期待し心待ちにする姿勢

そして総体的に感じる人間性に魅了されてしまった。

声を交わすことができなかったのが残念でならないけど

その人の講演を聴けただけでもとてもいい体験だった。

うちのアンテナは短くて未熟。

頭にひっかかる講演会や学会やイベントごとがあれば

足を運ぶもののなぜか合わない。

もったいないから自分で何とか刺激し

お土産をつくる。

でも

昨日はいっぱいのお土産を頂いた気分だった。

えーっと・・・

つまるところ

何が書きたかったのかよくわからくなったから

これでおしまい(笑)


何が言いたかったんだっけな・・・主観でさえ見失ううち。↓
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