自然と出てしまった涙は
人前でもいい。
でも
泣きたいときに流す涙は
一人のときがいい。
周りを気にせず
強がらず
心からその哀しみに浸ることができるから。
誰かの腕の中で泣くということはそうそうないことだが
哀しみに浸っている最中
その哀しみから救いあげてくれる人がいるなら
一人のときよりもいいと
またしても思った。
「またしても」というのは
このときもそうだったのだ。
この人実はあきなのね(笑)
そして今回もそう思わせてくれたのはあきでした。
哀しくて泣いた理由は色々とある。
でも
同時に嬉しくても泣いていた理由はただ一つ。
あきが抱きしめてくれたから。
独りじゃないことがただ嬉しかった。
あまり泣き虫だと思われたくないから
それによって心配もかけたくないから
なるべく人前では我慢するんだけれども
ほんとはよく泣くうち。
こっそりとひっそりと。
その感情にどっぷり浸かって
もう十分沁みわたったからばいばーい
って思えるところまで。
それはまるで
熱い湯船にどっぷり浸かったあとの
なんともいえない爽快感を味わうようなもので。
ただ
喜怒哀楽の中で
怒りだけはそうはいかない。
どうしても心の中では処理しきれず
どこかに矢印が向いてしまう。
でもそれはベクトルになった瞬間に
「怒り」ではなく「活力」へと変換される。
そしてうちはまた動き出す。
何かを志した眼差しで。
うちはよく自分の中に
青い炎がゆらゆらと揺れながら静かに燃えている情景を見る。
青が一番落ち着く色なのは
もしかしたらそれゆえかもしれない。
今日は喜怒哀楽の「哀」と「怒」について
なんとなく書いてみた。
結局うちは「喜」や「楽」よりも
明暗で分けるのならば暗のイメージの方を
どうも書いてしまう癖があるらしい。
だからってご存知の通り暗いわけではない(笑)
ただ心につっかえるのは
やはりそういう感情の方なのだというだけの話。
目がしばしばするー。↓
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