これは5月7日付の奈良日日新聞です。
これは1面にある気仙沼での支援ボランティアの記事です。
そしてこれはあめです。
写真だけですが・・・ちゃっかり載っちゃいました(笑)
左下のマスクしたのがうちですよ。
一日目のボランティア先で現地の方と撮った写真ですね。
この記事の見出し。
「本気の若者よ 行動しよう」
っていう言葉や
記事を読んでいて改めて気付いたのが
そういえばボラバスに若者は少なかったな
ってこと。
それと
やっぱり行動するべきなんだな
ってこと。
うちが行動できたのは
ずっとこのときを待っていたからだった。
「今行っても何もできないかもしれない。
むしろ迷惑になるだけかもしれない。
じゃあ必要とされるときを待とう」
ってそう思ってずっとそのときを待ってたの。
今回の奈良市のボランティアの募集を見つけたとき
動くタイミングは今だって思えた。
行ってみて
そして帰ってきて
それからも現地のボランティア情報をネットで見たりして思うのは
うん
やっぱりすごく必要とされてるよ。
現地のボランティア。
メディアや周囲の人の目や声によって
躊躇してる人は多いかもしれない。
でも
各地域にボランティアセンターがあって
道具や情報やニーズ票っていうものもあって
公に募集もされてる今
少しでも気持ちがあるなら
躊躇する必要はないんじゃないかな。
募金箱があって
募金するお金も気持ちもあって
あとは自分の手次第で募金できるのに
それでもしないのって何か変でしょ。
何か不甲斐ないでしょ。
それに現地の人が何度も言ってるのを耳にした。
「やっぱり人手だなぁ」って。
そして何よりね
実際に活動してみたけどうちは違和感も後悔も感じてない。
動くときが来たんだとうちは思う。
伝えたいことは山ほどあるよ。
でも
「自分も行ってやってきなよ・感じてきなよ」
ってその一言がうちは一番伝えたい。
一人でも多くの人が現地のボランティアをしたらいいのにな
ってうちは思う。
てかね
なんで「ボランティア」の言葉が持つイメージって
前向きじゃないことが多いんだろう。
偽善なんじゃないかとか
自己満なんじゃないかとか言われて
はたまたそう思われてるんじゃないかとか思って
なんで堂々としていられないんだろう。
自分で問い直すことは大切だと思うけど
ボランティアを外から見てる人に言われて
なんで胸を張っていられないんだろう。
ボランティアは外から見るのと中から見るのでは全然違う。
それはうちが今回自分でも感じたことなんだけど。
若者は身体を動かした方がいい。
頭を動かすのは専門家に任せたらいい。
だから
「必要ありません」って言われなければ
ボランティアをしたらいい。
ただし思いやりを忘れずに。
・・・って
うちは思うんだけどなぁ。
「つながろう日本」
って言われても
うちはやっぱり直接つながんないとぴんとこない。
「メッセージを送ろう」
って言われても
うちはやっぱり自分の声で直接伝えないと伝えられない。
うちってそういう人間なの。
奈良日日新聞の記事がものすごくしっくりくるのも
やっぱり行ってきたからなのかなぁ。