ビアン用語が使えないうち | Moratoriumer´

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今日も波に揺られて海を漂う。

自分のイライラを誰かに向けたら八つ当たりになるように

自分のこだわりを誰かに押し付けたらただの頑固になる。

その境目を踏んだ瞬間に気づける内はまだいいのかな。

うちは今まで

どうも当事者同士の関わりに後ろ向きで

あまり当事者の人の輪を広げてこなかった。

色んな理由があるけど

そこにこだわり過ぎて

ただの頑固になってるのかもしれないと最近思う。

だから少しずつ広げていこうと思い始めたわけだけど

正直言って違和感を感じることも多いな。

当たり前のように自分を

見た目→フェム・ボイ

性行為→ネコ・タチ・リバ

で表して相手に「セク」を要求してしまいがちなとことか。

表わすことに関してはなんとも思わないんだけど

わかりやすくていいんじゃないかとも思うんだけど

他人をそれによって取捨選択してる自分がいたり

それで相手を理解したような気になってる自分がいたら

そりゃもう幻滅。

あくまでうち自身の話。

例えば

「フェムネコです」

って言われて

「あーあなたは女性的で受け身なのね」

で終わってる自分がいたらマジで終わってる。

自分自身がそういった思いがあるから

うちはなかなかそういう用語的なのを使う気にならない。

「んで?」って思えるくらいがいい。

「だから?」って思えるくらいがいい。

なんなら

「よく意味がわかんないんだけど」

っていう感じのほうがよっぽど楽しい(笑)

お互いに手さぐりで知っていった方がおもしろくない?

言葉によってある形にされるのってもったいなくない?

・・・のかなー。

「ビアン」の中にある常識的なこと

これも窮屈。

社会の中にある常識的なこと

実はこれよりもうちは窮屈。

「ところで“常識”って何!?」

って突っ込まれたら

うちの中の偏見なのかもしれないとも思う。

うちが壊していかなきゃいけないのは

うちが抱いてる先入観にも似た常識になるのかも。

たぶんうちの視野と心の狭さがそれをつくってるから

違和感を感じてる自分はその程度なんだと思う。

だからそれを広げるためにも

もっとコミュニティに関わっていく姿勢をね

持っていこうかと。

周囲との違和感は人を孤独にする。

不思議なことに

当事者じゃない人といる方がうちはその違和感が少ない。

・・・って

こうやって「当事者」「非当事者」って括ってものを言うのも

またすごい違和感。

とにかくね

窮屈なとこにこそ広がる可能性があるはずなの。

うちは

もっと広い世界にいきたいの。