写真週刊誌『 FRIDAY 』(デジタルフライデー)に、森永卓郎さんへのインタヴューが載っていました(注)


(注)『FRIDAY』2024年4月5・12日号より。取材・文:小泉カツミ  PHOTO:足立百合


 でもね…、ほんとうに、ビックリするぐらいに森永さんが追及し続けている「日航機事件」のことにふれていない。「にっこうき」の〈に〉の字もない …のです。

 『FRIDAY』の出版元は講談社ですからね…、大手の出版元です。だから、やっぱり「日航機事件」について、1文字でもふれてはいけないのでしょうか…?炎?炎?

 

ぽってりフラワー


 森永さんが、最新刊の『 書いてはいけない (三五館シンシャ)の「まえがき」で、

「メディアには、絶対にふれてはいけない3つの〈タブー〉が存在し、それについて(雑誌やテレビなどで)発言すると、即座にメディアから干(ほ)される」という趣旨のことを書いていますが、どうやら、それは(今も)本当だったようです…。

 海外のロシア等で、「言論の自由」が無い…なんて話を聞きますが、ロシアだけではなく、日本ですら、出版社はじめメディアは、権力者からの報復を恐れて、自由にものが言えなくなっている…ということに、わたしは恐ろしさを感じます。

 

ぽってりフラワー


 ちなみに、そういう制約なしに、『書いてはいけない』を森永さんが語るとどうなるのか…、わたしは、そのあまりの落差にビックリしました。

 上の『FRIDAY』記事を読んでから、下の森永さんの『書いてはいけない』動画を見ると、みなさんもおどろきますよ。だって…動画「28分52秒」のうち、動画の開始「5分3秒」から「22分8秒」までの約17分間、森永さんは日航123便のことについて延々と語っているのです。

 

 森永さんの動画 ←クリックすると動画が見られます。

 

 そうなんですね…、

 だって、政府や運輸省などが言って来た

星 墜落地点がわからず、ようやく翌8月13日未明、日航機墜落約10時間近く経って墜落場所が判明した(というのは、ウソだった)

星 過去の尻もち事故修理ミスを原因とする「圧力隔壁」の破壊によって日航123便は操縦不能に陥った(というのは、ウソだった)

星 さらに、そういう事故報告書で述べられていた「ウソ」だけではなく、日航123便は横田基地と交信して、同基地への緊急着陸の許可を得ていたということも(アントヌッチ氏の証言により)わかっているのです。

 

 そうすると、

真顔 なぜ、政府や日航は、墜落場所を10時間近く伏せたままにしたのか(それだけではなく「長野県に墜落か?」なんていうフェイクニュースまで垂れ流して、なぜ…正確な墜落地点を隠そうとしたのか)。 ※ドウシテ墜落場所ヲ隠ス必要ガアッタノカ?

真顔 操縦室の高濱機長らは酸素マスクをつけずに手動で機体をコントロールしながら飛行を続けていたとすると、運輸省事故調査委員会は、どうして「圧力隔壁」の破壊というありもしない“原因”を「事故報告書」の中で捏造(ねつぞう)したのか。

※ソレハ日航123便ノ、ホントウノ墜落原因ヲ隠スタメダッタノカ?

 

真顔 横田基地から緊急着陸の許可を取りつけていたにもかかわらず、どうして日航123便は同基地に着陸できなかったのか。

※着陸許可ヲ横田基地カラ得テカラ墜落マデノ間ニ何ガアッタノカ?


真顔 尾翼に異常が発生してからも、約32分間手動操縦に切りかえて日航123便は飛び続けていられたのに、どうして突然…墜落したのか(注)

(注)この点をとらえて、小田周二さんは「事故報告書には

墜落のほんとうの原因が書かれていない」と批判しています。


真顔 日航123便を追尾していたという戦闘機2機は、何のために日航123便との間で「追いかけっこ」(墜落前の日航123便と戦闘機とを目撃した群馬県小学生の表現:文集「小さな目は見た」P68より)をしていたのか。

※ドウシテ…ソノニツイテ事故報告書ニハ記載ガ無イノカ

 

真顔 読売新聞(1985年8月13日付)にも載った目撃証言「飛行機が飛んで行った後から、流れ星のようなものが飛んでいくのが見えた」の、「流れ星のようなもの」とは何か。小田周二さんが『524人の命乞い』で「飛行機を流れ星のようなものが追いかけ、やがてその飛行機は炎や煙を噴き出しながら墜落して炎上した。だとするなら、私たちが追いかけなければならないのは、その『流れ星』の正体である」(P122)と書くようにその「流れ星」と日航123便の墜落との間には何らかの因果関係はあるのか。

 

ぽってりフラワー


 折しも、小池百合子都知事の「学で、小池都知事の元側近という人物が月刊誌『文藝春秋』に手記を発表し、再び、波紋を広げています。

 それに関して、

 『女帝 小池百合子』(文藝春秋:2020年刊)を書いた石井妙子さんは、その文庫
本「あとがき」に、こんな文章を載せていました。

 「 …不安もあったが反響は大きく、主にネットメディアで取り上げられて本書は短い期間に版を重ね、発行部数は20万部を超えた。それに伴い、『女帝』という2文字は、小池百合子の代名詞として、または隠語として、雑誌や夕刊紙、ネット記事で使われるようになっていった。その一方で、テレビでは本書(あるいは本書の内容)が取り上げられることはなく、ほぼ無視された(それは今に続いている)。その、あまりの落差が私には不思議でならなかった

 真贋(しんがん)を見極めることをメディアが放棄すれば、虚が実を凌駕(りょうが)するようになる。内面に蓄えられた実力というものが評価されず、自己宣伝に長けた人が跋扈(ばっこ)する。平成から現代に至るまで、空虚な人々が増え、社会そのものからも、実というものが抜け落ちていったように思える」

 「『小池百合子』は、小池百合子という、ひとりの存在によって作り上げられたわけではなく、私たちの社会が、時代が生み出したのだ。仮に小池百合子が去ったとしても、社会が変わらない限り、女にしろ男にしろ、第二、第三の『小池百合子』が現れることだろう。私は小池百合子という個人を恐ろしいとは思わない。だが、彼女に権力の階段を上らせた、日本社会の脆弱さを、陥穽(かんせい)を、心から恐ろしく思う」

 そして、文庫本「あとがき」を、石井さんは次のようにしめくくっているのですが、下の引用文、冒頭のという単語をと読みかえて、ぜひ多くの人に口に出して読んでもらいたいです。

 という深淵をのぞきこんだ時、その水底に映し出されるものは何か。それは現在の社会に生きる私たち自身の姿であろう。故に、彼女を何者かと問うことは、私たち自身を見つめ、現在の日本社会を問い直すことになると考えている」

 

( お し ま い )



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