前回のブログで、わたしが取り上げたのは、
わたしたちの「無意識」レベルに働きかけるような 比較的短い期間の…“刷り込み”でした。
女性タレントに潜水艦に乗ってもらい、潜水艦乗務員への感謝の言葉を述べてもらう、
災害時に、救援物資を(わざわざ)オスプレイで運んで、オスプレイが
災害時に、救援物資を(わざわざ)オスプレイで運んで、オスプレイが
役に立つものであると感じてもらう、
小学生の子どもたちに「回天」や「桜花」を絵に描いてもらい、
小学生の子どもたちに「回天」や「桜花」を絵に描いてもらい、
「自らの命を“お国”のために捧げる」ような生き方にふれてもらう、
こういう実体験を積み重ねることで、
こういう実体験を積み重ねることで、
「戦争」や「軍事兵器」、そして 「自爆テロ用ツール(回天、桜花 etc )」への抵抗感が
少しずつ薄められていくのではないかと、わたしは強く危惧しています。
特に (前)で取り上げた ~ で おどろかされたのは、
小学生を対象にした 「自爆テロ用ツール」等の写生会 です。
そのことで、わたしが思い出すのは、『不死身の特攻隊』(注:下記リンク参照)の中に引かれていた、戦時中、特攻隊に関わった、倉澤という 当時少佐であった人物の発言です。
「12、13歳から軍隊に入ってきているからマインドコントロール、洗脳しやすいわけですよ。あまり、教養、世間常識のないうちから外出を不許可にして、そのかわり小遣いをやって、うちに帰るのも不十分な態勢にして国のために死ねと言い続けていれば、自然とそういう人間になっちゃうんですよ」
(倉澤少佐が86歳のときのインタヴュー『不死身の特攻兵』P221より)
「…国のために死ねと言い続けていれば、
自然とそういう人間になっちゃう」
これは、たとえば 中学、高校などの部活動で、中高生が、指導者の…言わば“言いなり”になって、ひとつのものの見方に染まっていくこと等を見ても、よく理解されることです。
だから、
まだ 十分に(良識に基づいた)批判的精神が養われていない小学生たちに「自爆テロ用潜水艦(→回天)」や「自爆テロ用飛翔体(→桜花)」のスケッチをさせるというのは、教育の観点からも、もっと踏み込んだ議論が必要だと、わたしは思います。
さて、その上で、きょうは「戦争って、気持ちいい!」の(後)として、
別の問題を取り上げることにします。
なぜなら、きょう取り上げる事例は、「自爆テロ用飛翔体」等のスケッチ以上に、大がかりで、かつ 長期にわたって、わたしたちのものの考え方を左右していると思われるからです。
そのために…、わたしたちは、ややもすると 特定の場面で、
「戦争(=無差別の連続通り魔的虐殺)」に対する、
生理的な嫌悪感(あるいは拒否感)
を感じるどころか…、
「戦争(=無差別の連続通り魔的虐殺)」に対して、
生理的な陶酔感(あるいは、爽快感)
を感じるようになってしまっているのではないか…というのが、わたしの懸念です。
たとえば、西部劇 を見て育ち、
戦争アクション映画(注) や、
「スターウォーズ」などの、
宇宙を舞台にした…〈戦いモノ〉映画にも慣れ親しんでいます。
(注)これは『西部戦線異状なし』(1930年)とか、『かくも長き不在』(1960年)等の〈反戦映画〉ではなくて、
レンタルDVDコーナー等にもひとつのジャンルとして確立している〈戦争アクション映画〉です。
次のような“実験”は、実際には出来ないと思いますが、子どもの頃から「戦争アクション映画」を見慣れた人たちのグループと、「寅さん映画」を見慣れた人たちのグループとで、「あらそいごと」、「紛争」に対する解決策についてアンケートをしてみれば、幼少期から自分の近くにあったキャラクター(例:戦争の司令官、車寅次郎)が、それぞれの考え方に影響を及ぼしていることが、おそらく明らかになるでしょう。
いえいえ…、
戦争アクション映画だけでは ありません。
ウルトラマン、仮面ライダー、ゴレンジャー … のたぐいもみんなそうですよね…。
「悪い相手」(←映画などでの悪役は、改心の余地のない極悪非道な人物として描かれています)は徹底的に〈悪〉であり、その「悪い相手:悪玉」に対して、正義の味方は、光線(ウルトラマン)か、拳銃やライフル銃(西部劇)か、あるいはライトセーバー(スターウォーズ)か…多少のちがいはあるものの…、そういう「武器(=軍事兵器)」を駆使して…戦います。
で、最後は、さまざまな困難を乗り越えて、
ギャング団の親玉を、正義の味方が 射 殺 したり、
テロリストの本拠地を、正義の味方が、爆 破 したり、
ダースベイダーらの宇宙基地を、正義の味方が、壊 滅 させたりするのです。
「西部劇」であれ、「戦争映画」や「ウルトラマン」であれ、
そういう“ハッピーエンド”に至る前に 必ずあるのが「撃ち合い」です(注)。
(注) 時代劇の場合には、「斬り合い」ですね…。
バキュ~~~ン、
ドキュ~~~ン、
ズドドドド…、
どっか~~ん!
そういう 撃ち合いで 「イイ者」が「悪モノ」に打ち勝って、「悪いモノ」を壊滅させたりすると…その映画(テレビ番組)を見ている観客は…「やったぁぁぁ!」と、快哉(かいさい)を叫ぶわけです。 ←この瞬間…観ている者は「気持ちいい」指数が最大になっているはず…。
その時の 陶酔感、爽快感、達成感…みたいなものは、例えば四國五郎さんが目指していたような、「反戦」への生理的嫌悪感とは、おそらく180度ちがう ものでしょう。
世の中によくある「戦争映画」(←バキュ~ン、ドキュ~ン、ズドドドド…で、敵軍が最後に滅びる)を見た人たちが、映画館から出て来て…
たとえ 敵であっても、あの映画のように武力(軍事力)で基地もろともにふき飛ばすようなことをしてもよいのだろうか? とか、
どうして あの状況下で、映画の主人公は「話し合い」で現状を打開できなかったのだろう とか、
やっぱり ああいうふうに 殺戮(さつりく)兵器を使っての「武力による平和」ってダメだよな、映画であっても、最後は「話し合い」でものごとを解決しないと… とか
そんなことを思いながら 映画館から出て来る人は、まずいないのです。
幕張メッセでの「武器見本市」開催に反対する市民グループの人たちが作った
戦車を題材にしたオブジェ(2019年11月2日、千葉県内にて) ⇒ 参 考
「幼少期からの、〈戦争〉に対する“抑止力”育成」 の話を聴いて…、
上に述べたような…「戦争映画」(や「戦争ゲーム」)のたぐいと、子どもたちとの距離を
どう(まわりのオトナが)調整していくか…、とってもむずかしい問題だと感じるようになりました。
そういう“勧善懲悪もの”の映画等に潜む、殺戮兵器が活躍するストーリー展開や、そういうストーリーを支える「武力(=暴力)をひそかに礼賛するような思想」についても、
わたしたちは、やはりよく考えてみる必要があると思います。
~ 追 記 ~
わたしは、2019年10月2日ブログ(「バーチャル痴漢ゲーム」について)を書いた時点では、まだ…自分の書くべきことにしっかりとした自信が無い…と言うか、〈戦争アクション映画〉の話をし始めると、ちょっと収拾つかなくなるような気がしていたのです。2019年の冬には、シリーズ完結となる『スターウォーズ』新作も公開されました。映画ファンは、その手の“戦いモノ”に手に汗握って、“いいモノ”さんチームにハラハラどきどきしながら声援を送っています。
でも、そこなんです…。子どもたちに与える、この手のものについて、わたしたちは十分に慎重にならないといけないと思います。たぶん…この話(「戦争」に対する、生理的な陶酔感ではなくて、嫌悪感をどう育てるかという話)を、四國五郎さんに相談したら…親身になって相談に乗ってくれたんじゃないかなぁ~。
でも、そこなんです…。子どもたちに与える、この手のものについて、わたしたちは十分に慎重にならないといけないと思います。たぶん…この話(「戦争」に対する、生理的な陶酔感ではなくて、嫌悪感をどう育てるかという話)を、四國五郎さんに相談したら…親身になって相談に乗ってくれたんじゃないかなぁ~。