鬱は、脳の怪我であると書きました。


怪我ですから、治療するために必要なのは
休息とリハビリです。


鬱病の人、
鬱病の家族、
鬱病の社員を抱える会社の人事、
すべての人に伝えたいのは

怪我をしたプロ野球選手を見て欲しい。


別メニューで調整をします。
大事なのは別メニューで調整です。


100mの遠投ができるプロの野球選手でも、
怪我のリハビリでは、
10mのキャッチボールからスタートする場合があります。

そういう別メニューを与えれる優しさや余裕があるでしょうか?
まあ、そういう別メニューを与えるような環境があれば
鬱にはなりませんよね。


鬱になるような環境は、
ピッチャーを3日連続先発登板させて、
怪我をしてもおかまいなし、
根性で乗り切らせるようなマインドがある。
誰か1人に負荷を与えてもおかまいなしのマインドがある。


軽度の鬱でも治らないのは、
リハビリができる環境がないから。


人をつぶす環境を改善しない限り、
鬱病を治す事はできないと思う。


鬱を心のは病気という。





この表現は、鬱経験者の立場からすると
あまり本質を捉えてないと思う。



どちらかというと脳の怪我、

脳機能の麻痺や障害という方が適切だと思う。



なぜならば
重度の鬱の人の脳をレントゲン撮影すると
穴があいている箇所がある。

脳が物理的に損傷している事がわかります。


また鬱の治療法として

栄養療法というのがありますが、



私は本格的な栄養療法の治療を受けたわけではありませんが、


足りないと思われる栄養素を

サプリなどで補給した事があります。

DHCなどで頭が良くなるDHA・EPAのサプリメントなどを飲んでみたら

抗鬱剤ほどではないにしろ、気持ち楽になる感触がありました。


脳の機能を助けるという視点は間違ってません。



鬱の辛さを表現すると、
脳機能の障害によって、

情報処理ができないからと思います。




脳は常時、情報を受けて処理をしています。

自動的に処理している。
呼吸するように、そして普通に歩いて荷物を持つように。

しかし鬱になると違います。
いわば骨折した腕で重たい荷物を持ち続けるように、

また穴の空いた肺で呼吸するように
無理で辛い状況になります。



そう、何もしてなくても。





私は社会人になって、
これまでに2000冊は読書しているような本の虫ですが、
鬱の時はまったく本が読めませんでした。
文章も大量に書く仕事をしてましたが、書けないし誤字が多くなりました。
簡単な本であれば、休憩を入れずに一気に読破するほどの集中力がありましたが
鬱の時は、簡単なものさえ理解ができなくなる。


たった5分、文を読む行為が
3時間連続、六法全書を読むような辛さになります。
冗談ぬきにそんな感じです。


鬱を経験した事がない人に鬱の辛さを伝えると

鬱の人が10分を文章を読む行為は、
上に例えると、
六法全書を、六時間連続休みを入れずに
読み続けるくらい辛いという事です。

30分連続で読むのは、
半日ぶっ続けで難しい本を読み続けるくらい疲れる。

自分のペースでやっていると
例え自分なりに頑張っていても、

周囲から見るとさぼっているように見える、
足手まといに見えるというのは
こういう事なんだと思う。


折れた腕で、鉄棒にぶら下がり続けれるでしょうか?

もしかすると無事の方の片腕を使って3分くらいはできるかもしれません。


でもやっぱりすぐに疲れます。片腕だし。

もう限界というときに、周囲が休ませてくれない。
はい、3分で休ませませんよ、1時間やって。
はいもう30分。

自分が3分毎とに一服するくらいのペースでしかできない時に
周囲は、許してくれない。


どうなるか、
けがは治らない所か、
悪化します。


感情を表に出して怒れる人は大丈夫です。
この状況を我慢する人はヤバいです。
限界に達した時に、倒れます。


起き上がれないくらい脳が機能障害を起こし
倒れるわけです。


軽度の鬱で自分を認識する事ができると
自分の脳はぶっ壊れているという認識ができる。


できていた事が、できないという事がわかる。


その状態だと、休めば治る可能性は高い。
電源はつくけど、動きが遅いパソコンの状態に似ている。



酷くなると、電源がつかない状態になる。


これが重度の鬱だと思う。


例えると、パソコンに水がこぼれ続けている状態といえる。
電気ショートしてぶっ壊れている感じ。


治そうと思っても、水が常にかかっているから修理できないし、
修理と同時に壊れる。


人生における重大な難題。
自分の力では解決できない問題によるストレス。


これがあると、薬を飲んでも休んでも治らない。


この根本的な問題が何かの拍子や時間で解決すると
治っていく。


この根本的な問題をいかに解決させるのか、
遠ざかっても良い状態を作るのか
もしくは問題を問題と感じないように認知をかえるのか
だと思う。


鬱を治すという事は、
薬を飲んで休むだけでは治らない。


根本的な問題という水が常にかかっているパソコン。

鬱になった時の思考力の低下を
自分の経験から振り返って考えてみると


ぼーっとして、幼稚園児のような感じになっていると思う。


周囲の大人の会話がよくわからないのに似ている。


文章も目に入らない。


よく鬱になるとテレビを見なくなるといわれているけど、


感情が動かないから面白くない、
興味のあるものが興味がなくなるという表現されるけど
違うと思う。


見てもわからないのが、
本当の所なんじゃないかと思う。


脳の機能が壊れているから、
自然と情報が入ってきていたものでさえ、
情報が中に入ってこない。



文章を書いても、
何回も見直しても誤字脱字がある。


注意力がないと叱られても、
なんど見直しても、
誤字脱字がある。


見ていても、情報が入ってきていない。
故に誤字脱字に気が付かない。


そんな状態にいたと思う。



鬱になる人は、優しい人責任感の強い人。

言ってしまえば、自己犠牲新の強い人。


誰かのために、ストレスを受けて、周囲を守っている人。


その理解が周囲にある内は、頑張れる。



でも、理解がなく、

孤独で、ストレスを受け続けるような環境になって

それが続くと精神が病んでくる。


少しの間は頑張ってられる。


だけど、相手が自分のことなんかちっともどうでも良くて
自分を利用したり、陥れようとしたり、悪意が向けられている事に気がついた時に
自分には理解してくれる味方がいないと理解した時に
心が折れる。


ヒビだったものが、
ポキって折れる。


自分の事しか考えない人の理不尽な仕打ちで、
かろうじて耐えていたものが
耐えられなくなる。


そうなると、穴の空いた器のように、
すべての事がどうでもようなって
水のように流れていく。


遅刻した事がないような人が、
朝起きれなくて、遅刻をしても
何も感じなくなる。


何も感じなくなるというのは違うね。

まずいと思っていても、動けなくなる。




心の機能障害、機能麻痺。
穴の空いた器のように、
何も受け止める事ができなくなる。



鬱というのはそういうもの。