苦しい。

何もしてないのに苦しい。

意味もなく苦しい。



できない。


昔、出来ていた事ができない。

やろうと思ったことができない。



目をつぶっていたい。
すべての情報を遮断するように。


横になりたい。
心も体もつかれているから。


鬱とはこんな感じです。



ちょっと気分が良い日、
鬱病に危機感を持った僕は、新宿の紀伊国屋書店にいって
鬱の本を探しにいった。

気になる本をアマゾンで目星を付けていて、
本屋にある本を探す機械で検索した。
今は便利ですね。棚の番号が出てきますから。


本のある棚に行った。


沢山の本がおいてある。
その中から、本を探せない。
題名も、本の色も知っているのに。


疲れて、へたり込んだ。
店員さんに本を探してもらった。


目の前にあった。


この人、大丈夫かと思われたかもしれないが
僕はそれが出来なかった。


これまでに1000~2000冊は読んできた、
読書の虫だ。

難しい仕事の本も沢山読んできた。
本屋はアミューズメントだったはずだ。


しかし、これができない。
これが鬱なんだ。


会社で、
隣の人の話や有線の音楽さえも
耳を塞ぎたくなる。


目をつぶって瞑想する。
情報を遮断する。


人の話を長時間聞く。
もの凄く苦痛だ。
今相手が言った事が頭に入ってこない。

だから、会話も成り立たないから
相手も苛つかせていると思う。


鬱は完全に脳の機能障害だ。


普通の人の処理できる情報の1/10以下になっていると思う。
それくらいおかしい状況にいる。



さて本題だ。
普通の人に鬱を経験してもらおう。



普通の人に鬱の苦しさを知ってもらう方法を考えた。

よく妊婦さんや高齢者を体験する為の
お腹につける重りや、見えにくくなるゴーグルなんかがあるけど。

鬱の場合はこうだ。
宿題をやりながら、1時間10人と同時に会話する。
一斉に話しかけられる。
すべての人に対応して、無視をしてはいけない。

そして精魂果てた後に、もう一回同じことをする。
休ませずに。


2回目が終ったら、ちょっとだけ休んで、
すぐに3回目をやってもらう。


こんな事を3回もすれば、
普通の人なら、疲れ果てて、うんざりするだろう。
ソファに座ったり、寝そべりたくなるだろう。


ここではじめて、休憩を取ってもらう。

しかし、休憩時間は伝えない。


10分たったら、休憩終了をつげて、
4回目をやってもらう。


ここでテキパキやってください。
かなり圧力をかけます。
1回目よりパフォーマンスも落ちるでしょう。
それを攻められ続けます。

こんだけ疲れているんだから、
能力が落ちているのはしょうがないでしょという
言い訳をさせません。


どうでしょうか?


鬱の人の普通の5分は、健常者の上の1時間だと思います。
想像して見てください。


鬱の人が、何も出来ないのは、朝起きれないのは、
脳みそが、上のように情報処理の限界を超えて
オーバーヒートしているような状況だからなんです。


でもね、実はこのテスト、試験者にはむちゃくちゃ酷ですが
実は全然大したことではない。

本当の鬱の人は、人生のただならぬ問題で
もの凄い長い時間ストレスを受けて、鬱になったんですから。


たった数時間のストレスで疲れて、
何も出来なくなるような代物ではない。

でも、雰囲気を感じてもらうには
こういうテストを会社とかでやってみたら良いと思う。


甘えているとか、逃げているとかではなく
ただただ、ストレスから逃げて、
癒されるしかなく、

治す為に
休息と薬、
そして、マイペースで
少しずつ自信をつける以外にない。



それが鬱です。







鬱になると朝起きれなくなる。



私も、朝起きれない状況になりました。



なぜ起きれないかを自己分析すると

夜更かしして寝不足で起きれないのとは

似ているようで、実情は全然違います。



スイッチを押してもパソコンが

起動しない状況と似ているかもしれません。

ついてもシャットダウンしてしまいます。



朝起きた瞬間からダウンしてる。

鬱は脳の怪我ですので、

いわゆる痛みはなくても、苦しいのです。



肝機能障害や糖尿病の人が疲れやすいのと同じように、

鬱にも内臓の異常による不調が明確にある。



その辺を理解してくれないと

本当に辛いですよね。


私は、2度の鬱の経験で実感しているのは


鬱によって、抗鬱剤の影響によって
昔の記憶、記憶力、思考力が失われたと実感しています。


なので2度目の鬱の時には
これ以上、バカになりたくないと思って
抗鬱剤を飲んではいけないと思っていました。


しかし、それは間違いでした。
休息だけでは、鬱はよくなりません。

ストレスのある状況に鈍感になるような
抗鬱剤がなければ、休息も休息ではないと思います。


なので、思考力は後で努力で取り戻すとして、
休息できる状況を作るためにも
薬を飲んで休んだ方が良いと思います。


ただ記憶力や昔の記憶は、戻ってきません。
失われてしまったと思います。


私は、宗教の信者ではないけれど
座禅をしたり、仏教書を読んだりする人間です。


そういう人が鬱になるどうなるのか。
座禅は鬱の治療に役に立つのかについて考えてみたい。


結論から書くと、
鬱になるような人の禅のレベルだと(私ごときでは)
効果はないと思う。
レベルの高い禅ができる人は、鬱にならないのかもしれませんが。


禅は座禅を組んで、
呼吸から心身を整えでいきます。
心の中で、ひとーつ、ふたーつと数えていくのですが、
そんな余裕はありません。


無になれません。


肺に穴があいている状態で、呼吸しているように
当たり前のように辛いのが鬱です。
傷みはなくても、気分が悪いです。



ですから、まず薬を飲んで気分が
楽な状態になる事が重要です。


そういう状況であれば、
禅も役に立つかもしれないと思っています。


ただ、物事は空・無であるといった仏教の教えも頭でしか理解していないレベルだと
苦しさはなかなか晴れないです。


白隠というお坊さんのように
禅のしすぎで精神を病むような例もありますから
座禅で治療、気持ちを楽にするというのは
難しいと思います。


私も、空や無になれれば
鬱の苦しさを忘れられると思った口ですが、
鬱の状態では、難しいと思いました。





鬱になる環境は、

境界性人格障害、自己愛性人格障害などの
パーソナリティ障害を持つ一見優秀にみえる人が
自分の自尊心を満たすために
誰かをスケープゴートにする行為が含んでいる可能性がある。
モラルハラスメントやパーワーハラスメント。


まじめで優しい人を
否定し続ける事で、自分の存在を認めるわけ。
そういうパーソナリティ障害の人のターゲットになると、
周囲との繋がりを塞がれて、孤独の中で
否定され続ける環境になる。
それによってストレスが大きくかかり、鬱になっていく。

組織においては、上手くいかない理由を
1人のせいにできると楽な場合が多い。

一見すると甘えていて、逃げてばかりで、自責の念がなさそうに見える
鬱の人をできない人認定して、
その人のせいにして組織全体の責任を回避しようとする意識が働く。


あとパーソナリティ障害の人は、一見すると優秀な人に見える場合が多いし、
実際、個人では優秀なパフォーマンスを出す人が多いので
組織からも守られる事も多い。
故にパーソナリティ障害の人からの被害者は切り捨てられる事になる。


鬱病が沢山出ている会社というのは、
そういうマインドが少なからずあると思う。


どうでしょうか?